「生きる形」を変える憲法・教育基本法の改正

                  竹内常一

1「憲法改正」か、それとも「新憲法制定」か

周知のように、憲法は英語で“Constitution”(構成・構造)といわれる。そういわれるのは、憲法が、人民の定めた国家および社会を構成する基本原理、それによって人民が国家権力を律する基本原理だからである。

このことは、私たちが憲法を定めることをつうじて私たちの生活の基本的な構造を定めていることを意味している。その意味では、憲法とは私たちの「生きる形」の基本を示すものである。

ところが、その憲法を自民党は結党当時から一貫して敵視し、これを廃棄して、新しい憲法を制定すると主張してきた。元自民党総裁の中曽根泰弘は、明治憲法も、日本国憲法も、それらは天皇または占領軍アメリカによっておしつけられたものなので、日本国民は自らの力で新憲法をつくる必要があるとくりかえし主張してきた。

この間の改正論議には紆余曲折があったが、自民党は二〇〇五年十月に「新憲法草案」を公表し、憲法改正を具体的な政治日程にのせる決断をした。このために、「憲法」をめぐる情勢は、世上にいわれるような「憲法改正」にとどまるものではなく、「新憲法制定」という新しい段階に入った。ということは、私たちの「生きる形」が部分的に変えられるだけではなく、それが根底からひっくりかえされる段階に入ったということである。

このようにいうのは、憲法問題が「草案」の公表をさかいにして国家および社会の基本原理をとりかえ、そのとりかえた基本原理にもとづいて国家および社会を構成しなおす段階、つまり、日本国憲法を廃棄して、新憲法を制定する段階に入ったからである。そして、本年三月現在、自民党は「新憲法制定」である「憲法改正」をすすめるために、「国民投票法」を「教育基本法」の改正案とともに国会に上程すると予定している。

しかし、このような「憲法改正」にたいして根本的な疑義が提起されている。その疑義とは、ひとつには、現憲法を廃棄して、新憲法を制定するというような「全面改正」は現憲法が認めるところではないという手続き面からのものであり、いまひとつは、これと重なるが、憲法の基本原理である国民主権・基本的人権の尊重・平和主義に触れるような「改正」は現憲法の認めるところではないという内容面からのものである。

 これについて山内敏弘は「日本国憲法の改正手続きとしては、一般に改正権に限界が存するとされている。九六条の改正手続きを持ってしても、憲法の基本原理に関わる事項、すなわち、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義に関しては改正できない」(「日本国憲法原理の廃棄ねらう『新憲法草案』」『法と民主主義』四〇四号、〇五年一二月所収)としている。だから、自民党の憲法改正(新憲法制定)は、現憲法の認めている改正権の限度を越えるものであると批判されているのである。

 だが、これは専門家的な用語法による批判であって、平たくいえば、(そういう識者がいないわけではないが)自民党がいま企てようとしている「憲法改正」は国家と社会の体制を転覆する「(反)革命」または「クーデタ」だということだ。

そのことは自民党がいま作成中の「国民投票法」のなかにもみることができる。というのは、それは条文別に国民投票にかけるものではなく、「新憲法」をまるごと国民投票に附すものとして作成されようとしているからである。これによって自民党は「新憲法制定」という一種のクーデタ行為を合法化しようとしているのである。

これとおなじことは教基法改正についてもいえる。というのは、その改正が憲法前文を受けている教基法前文を廃棄して、新しい前文を立てるとしているからである。そのなかに、現憲法になく、さきの「新憲法草案」のなかにある「郷土や国を愛すること」をもりこもうとしているからである。

2 国家構成の基本原理の転換

「憲法改正」の域を越えている「草案」の内容は、第一に、国権の発動としての戦争を批判して「平和のうちに生存する権利」を宣言している憲法前文を廃棄し、それに代えるに、「国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義」や「帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」などの文言からなる前文を立てている。

このなかにとりこまれている「自由主義」と「国際協調主義」が意味していることは、日本国家の新自由主義・新保守主義的再編であり、日米同盟を前提とする軍事国家化・帝国主義化である。さきの「国や社会を・・支え守る責務」はこの路線に沿ったものとして国民に課せられているのである。

 第二は、現憲法の基本原理である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義に触れる修正・改正をおこなっていることである。

平和主義についていうと、「草案」は、「第二章 戦争の放棄」を「安全保障」に変更し、「九条二項」の武装放棄に代えて軍事力(「自衛軍」)の創設を掲げ、C新しく「九条三項」をたてて「緊急事態における公の秩序に維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」ならびに「国際的に協調して行われる活動」への自衛軍の参加を認めるものとなっている。

また、基本的人権の尊重についても、それはこれまでの「公共の福祉」に代えて「公益及び公の秩序」を持ち出し、この縛りによって基本的人権を制限するものとなっている、いやそればかりではなく、「公益及び公の秩序」の名のもとに国民の生き方を新自由主義・新保守主義的公共性ならびにさきにみた軍事的公共性に向けて統制するものとなっている。その意味では、「帰属する国や社会を支え守る責務」は、国防、さらには日米軍事同盟をふくむ「公益及び公の秩序」にたいする責務を意味しているといって過言でないだろう。

さらにまた、それは国民主権と民主主義をも空洞化する内容をふくんでいる。たとえば、それは、憲法改正の手続きをこれまでの[議員の発議・提案→国民の承認]から、[議員の発議→国会の議決→国民の承認]に変えていること、国会の議決をこれまでの三分の二から過半数に変えていること、これらをつうじ国会の議決を国民の承認よりも優位に置く改正として具体化されている。その他にも、首長としての総理大臣のリーダーシップの強化と裏腹に議会制民主主義を空洞化す内容もふくまれていることに注意する必要があるだろう。

3 ネオナショナリズムの後退はなにを意味するか

このようにみてくると、「新憲法草案」には注目すべき点がいくつかある。そのひとつは、これまでの自民党の改憲論議をリードしてきたネオナショナリズムがトーンダウンしていることである。

これまで自民党は、権威的な国家の復権をめざすネオナショナリスティックな改憲論によってリードされてきた。それは、現下の社会的統合の危機を戦後の自由主義的・個人主義的な国家体制のせいにし、その再統合を伝統的な共同体、家族、地域コミュニティの再建に求め、その中核に天皇を位置づけるという国家を構想していた。だから、二〇〇四年六月に出された自民党の改憲案は、その前文に@「品格のある国家」、Aわが国の歴史、伝統、文化等を踏まえた国柄、B環境権や循環型社会の理念、C家族に関する文言、D利己主義を排し、「社会連帯、共助」の観点、E国を守り育て次世代に受け継ぐ「継続性」を盛り込むとしたのである。

ところが、「草案」はこれらを「国や社会を・・支え守る責務」に凝縮または切り下げている。これを「凝縮」とみるか、[切り下げ]とみるかは「草案」の評価にかかる争点でが、ジャーナリズムはこれを「改憲狙いの現実路線」(朝日新聞)、「独自性よりも他党に配慮」(毎日新聞)とし、戦術的な変化としてみなしている。

高橋利安は「@自衛隊の海外での武力行使を可能にする、A新自由主義に基づく『構造改革』を促進する、という二つの目的を実現するために、理想案(独自案)の追求をやめ、民主党、公明党との協議のたたき台となるような現実案」(「削られた『歴史認識』と『平和主義』前掲『法と民主主義』所収)であるが、いずれは新保守主義国家を登場させるものと評価している。

これらは、ネオナショナリズム的または新保守主義的な性格が「草案」からなくなったのではなく、「草案」のなかに埋め込まれていて、憲法改正手続きの簡略化をつうじての再度の改憲においてこれを明文化する可能性があるとしている。

だが、自民党の改憲論のなかには、ネオナショナリスティックな国家構想とは異なる、いまひとつの国家構想があった。渡辺治によると、それは、財界中心の新自由主義的な国家構想で、自立・自己責任を強調し、社会的上層にこれ以上の権利と政治への機会を与えて,社会統合のリーダーシップをとらせると同時に、社会統合を乱す社会的下層には抑圧と治安でもって対応するというものであった。(「政治日程に登場した『憲法改正』策動」『ポリティーク』七号、〇四年四月号所収)

この国家構想にたつ改憲論はこれまでは有力なものではなかったが、たとえ戦術であったとしても、「草案」が新自由主義的な構造改革を促進することを前面においたということは、自民党の改憲論のなかでその位置が高まったことを意味しているのではないだろうか。

もしそうであるならば、新自由主義的な構造改革が「憲法改正」又は「新憲法制定」とどういう関係にあるか確かめなければなるまい。

4 平和国家から軍事国家へ

だが、それにとりくむまえに、自民党が非武装平和主義を廃して、軍事国家をつくることにふみきったことを検討しておこう。

自民党が「草案」においてこれまでどおりの解釈改憲をつづけるのではなく、九条二項の非武装規定を廃して、「自衛隊」を「自衛軍」とし、集団的自衛権をも視野にいれて自衛権の行使を明文化したが、そうなったのには、二つの理由がある。

そのひとつに、アメリカが九・一一をさかいに軍事戦略の再構築に取り組み、そのなかに日本との軍事同盟を位置なおすことになったことがある。そのことは、「草案」公表の翌日に、日米外相および防衛庁長官が日本における米軍再編の方針ならびに座間への米陸軍司令部の移転を公表したことになかに劇的にしめされている。

この過程のなかでアメリカが日本に強く求めたのは、日米同盟のもとでの自衛隊の海外派遣と後方支援、さらには共同の戦闘行動の展開であったが、日本が憲法によって集団的自衛権を禁止していることが最大の障害であった。この日米同盟の再構築の要請に応えて、小泉内閣はアメリカ軍の後方支援をおこなう「周辺事態法」、日本有事のさいに民間企業や地方自治体の動員をはかる「有事法制」を制定し、この有事体制をアメリカの戦闘作戦にたいする日本の後方支援にも適用しようとした。その結果、残るは集団的自衛権の承認だけとなった。

いまひとつは、新自由主義的な構造改革のなかでその力を強大にし、経済のグローバル化にのって多国籍企業化した日本の大企業が、その海外権益を守るために平和国家の軍事国家化を必要とするようになったことである。その意味では、軍事国家化を内側から支え、促してきたものは、新自由主義的な構造改革と規制緩和であったといわなければならない。

渡辺治はこの点に注目して、「新憲法制定」の背後にあるものは、「戦後の憲法のもとで曲りなりにもつくられた小国主義的、『福祉国家』的な政治体制を、グローバリゼーションのもとでの軍事国家と新自由主義型国家に変える意図」(『自民党・新憲法草案を読む』)であると指摘している。この指摘は、「草案」が戦術的にネオナショナリスティックな国家構想を後退させたとする、前述の高橋のとらえかたと微妙にちがって、「草案」は新自由主義的な国家構想を前面におしだしてきたものととらえるものだということができる。

5 新自由主義改革と新憲法制定

このようにみてくると、軍事国家化を内側から支え、促している新自由主義的な構造改革が現憲法とどういう関係にあり、なにゆえにそれが「憲法改正」または「新憲法制定」とつながるものであるか問うことがますます必要になってくる。

これはいうまでもないことだが、新自由主義は、第二世代の権利である社会権的基本権を公認し、その保障を国家の義務としてきた社会民主主義と福祉国家を攻撃するものとして登場した。

このような攻撃が資本側からなされるようになったのは、福祉国家の経済的な基盤である大量生産・大量消費方式のフォーディズムが資本側に利潤をもたらすものでなくなりはじめたからである。だから、資本側は、フォーディズムのもとでつくりだされた労使妥協・労使協調を一方的に破棄する挙に出たのである。このときに、その担い手として登場したのが新自由主義であった。

だから、それは、社会権的基本権を保障するためにつくられた国家的規制そのものの全面的な緩和を主張し、その保障システムを市場の自由にゆだねることを要求し、その実現のために「強い国家」を立てることを必要としたのである。その意味では、それは当初から社会権的基本権を保障する福祉国家にたいする「反革命」的な性格をもっていたのである・

ところが、ふしぎなことに、ネオナショナリズムの国家構想が憲法体制を直接的に攻撃するものとして問題視されたのにたいして、橋本内閣から小泉内閣へとひきつかれてきた新自由主義的な構造改革は「憲法と『無縁に』に」(渡辺治)におこなわれているものとして見過ごされてきた。かれはこれにふれて、「構造改革が軍事大国化と異なって憲法の抵抗を受けなかった理由は、構造改革の抵抗帯となるはずの憲法の社会権が、九条とは異なり、その趣旨を受けた立法措置によって内容を充足される性格が強く、当該立法やその改変の違憲を問うことが難しかったことがあげられる」(前掲「政治日程に登場した『憲法改正』策動」)としている。  

いいかえると、このようになっているのは、「幸福追及」の権利(十三条)、「健康で文化的な最低の限度の生活を営む権利」(「国民の生存権、国の社会保障的義務」を定めている二五条)、教育を受ける権利(二六条)、勤労の権利(二七条)、団結権・団体交渉権(二七条)などの社会権的基本権についての憲法規定が抽象的ないしはあいまいで、その具体化が社会福祉法制、教育法制、労働法制にゆだねられてきたためである。

だから、構造改革は、これらの下位の法制に攻撃を集中し、社会権に関する憲法規定に触れる必要がなかったのである。そのことは、自民党の「草案」が日本国憲法の条文をそのまま引き継いでいることのなかにもみることができる。

6「生きる形」「働く形」の変容を強制するもの

 ---学校の息苦しさはどこからくるのか――

だが、それはあくまでもみかけだけのことであって、下位法をみれば、社会的基本権に関する憲法規定は根底からくつがえされてきたといっても過言でない。そして、そのなかで私たちの「働く形」「生きる形」が根底からひっくりかえされてきたのである。

それを、いま、労働法制についてみると、構造改革は、@広義の労働時間の規制緩和(労働契約期間の上限延長、裁量労働制の対象業務の拡大、一年単位の変形労働時間制の運用の弾力化ならびにフレックス・タイムの導入など)、A女子保護規定の撤廃、B労働者派遣の対象業務の拡張、C職業紹介の有料化、市場化などの規制緩和をすすめ、労働者の権利規定を弾力化(フレキシブル化)してきた。

いま教師の労働時間の延長と労働の過密化が問題にされているが、それも変形労働時間制の拡大、裁量労働制の業務の拡張などによる八時間労働制の空洞化と深く関わっており、これまでの多忙化とおなじものではない。その意味では、いま教育労働者は一般の労働者とおなじ問題状況のなかにおかれつつあるのである。

ところで、このような労働権保障の規制緩和を本格化したのは、日本にあっては、雇用・賃金・労務管理の全般にわたる「弾力化」「流動化」をすすめ、従業員を@長期蓄積能力型、A専門能力活用型、B雇用柔軟型の3グループに分割すると宣言した日経連『新時代の「日本型」経営』(一九九五年)であった。

そのくわしい説明をおこなう余裕はいまないが、この労働の弾力化・流動化は「フォーディズムからポスト・フォーディズムへ」といわれる生産方式の転換、「硬直した(rigid)生産方式」から「弾力的な(flexible)生産方式」へ(「リジリティ」から「フレキシビリティ」へ)の転換を示すものであった。一時流行した「『重厚長大』から『軽薄短小』へ」、「『まじめで暗い』から『かろやかで明るい』へ」はこの転換を示すものであった。

教育・学校においても、このような転換は、学校選択の自由、教育課程の弾力化、「ゆとりの時間」をはじめとする学校の学習と生活時間の流動化、教育労働のフレキシブル化として具体化されてきた。そればかりか、規制緩和が「強い国家」を要求するのとおなじく、教育労働のフレキシブル化は「目標管理」を柱とする人事考課と差別的賃金制の導入としても具体化されつつある。

このようにみてくると、新自由主義的な構造改革は、その規制緩和をつうじて生産から消費までのすべての分野を「再資本主義化」し、「フレキシビリティ資本主義」ともいわれる「ポスト・フォーディズム」を社会・国家体制とするものである。その意味では、それは直接的に憲法を改正するものではないにしても、私たちの「生きる形」「働く形」の基本と「憲法」原理を侵犯する暴力である。それがいまの学校の息苦しさ、親と子と教師を生み出しているのである。

そうだとすれば、軍事国家化をすすめる九条改正問題とならぶものとして、新自由主義的な構造改革の違憲性を問わなければなるまい。そうしなければ、憲法問題は若者たちのものにならないのではないだろうか。