コスタリカ通信
高部 優子

笹本   潤
 調布「憲法ひろば」世話人の笹本潤さんと高部優子さん。5月に行なわれた「9条世界会議」でのご活躍の後、揃ってコスタリカへ。平和と人権の武者修行は半年におよびました。
  6月22日の優子さんからの第1信、8月23日の潤さんからの第2信、11月18日の裕子さんからの第3信、そして年末に帰国した後、2009年1月26日の優子さんからの第4信(これが、とりあえず最終の通信です)を掲載します。
  なお、笹本 潤さんは弁護士、日本国際法律家協会事務局長です。          編集部

2009年1月26日  高部 優子

【コスタリカの生活】

コスタリカの半年の滞在は、前半3ヶ月間=ホームステイ、後半3ヶ月間=アパート暮らしだったので、コスタリカの一般的な生活と自力での生活の両方が体験できました。

コスタリカでは、日常的に豆を食べます。週に1〜2回、大きな圧力鍋でシューシューと豆を煮て、夕食は、ご飯+おかず+豆、という感じです<写真@夕食>。朝ご飯でよく食べる「ガジョピント」という料理にも豆が入っています(お赤飯に似ています)<写真Aガジョピント>

ちなみにコメはパサパサした種類。炊く時に、にんにくのかたまりと玉ねぎなどの野菜を細かく切ったものと塩を入れるので、うっすら味がついていてとてもおいしいです。

意外だったのは、ホームステイ先でも、友人の家でも、夕食を家族で囲むということがなく、夕飯はお腹がすいていたら食べる、という習慣。母親が働いていたり、午前と午後のおやつの時間があったりなど理由は色々のようですが、コスタリカはどの家庭でも一家団欒、という勝手なイメージを持っていたので驚きました。

物価は思ったほど安くはありませんでした。アパートは1DKで1ヶ月約4万円。水光熱費、電話、インターネット代で月1万5千円ぐらいでした。スーパーでは1週間分の買い物をすると5千〜1万円ぐらいかかってしまうので、市場で買い物をしました。市場は、土曜日の早朝から昼過ぎぐらいまで、線路に沿った道など3〜4本の道の両側にびっしりと店が立ち並びます。新鮮な野菜や果物や肉、そしてオートバイまでが売られています。生絞りの各種ジュースも楽しみの一つでした。<写真B市場>

【治安が悪いかも…】

中米の中で1番安全だと言われているコスタリカでも、治安が悪くなったという声が聞かれます。コスタリカの人から治安の悪さをあらわすジョークを教えてもらいました。「飛行機で着陸したとき、腕を窓の外に出せばそこがコスタリカかどうかわかる。時計を取られたらコスタリカだ」。

強盗が小学生を射殺したり、子どもが麻薬を買う5000コロン(約1000円)欲しさに人を殺したり、というニュースを耳にします。

町を歩くときは携帯を使わないようにとか、古い靴を履くように気をつけているという話も聞きました。

アジア人が少ないので、友人からは「あなたは観光客に見えるから、カバンは前に抱えて持って、アクセサリーは一切つけない、夜は出歩いちゃだめ」と言われました。

気をつけていましたが私もスリにあいましたし、ステイ先の家では屋外の壁に設置されている電気メーターから出ているコードなんかも盗まれていました<写真C盗まれたコード>

治安悪化の原因は色々あるでしょうが、1つは貧富の差が広がったことだそうです。貧富の差を表す「ジニ係数」は0.3577(1988年)→0.4750(2004年)と貧富の差が拡大したことを示しています。

理由は、1980年代、当時の中立宣言を出したモンヘ大統領、ノーベル平和賞をもらったアリアス大統領などが、レーガンの新自由主義を受け入れたからだ、と言っていた人がいました。

何にせよ、警戒しながら道を歩いたり、生活するのはとても疲れることでした。

【軍隊がない!でも平和?】

コスタリカの平和については、なかなか難しい…。コスタリカで散々悩んでしまいました。

コスタリカには確かに軍隊はないようです。常備軍を持たないと憲法12条に書いてあります。軍隊がないですから、中南米でよくある軍部によるクーデタがなく、選挙で大統領が選ばれています。また、戦争をしていない。そういう意味では“平和”だと思います。

ただ安全保障に関しては、アメリカ合衆国の影響が強い米州機構(OAS)と米州相互援助条約(リオ条約)に依存しているそうです。つまり「アメリカの軍事力の下での非武装」なんだと思います。事実2003年、当時のパチェコ政権はアメリカのイラク戦争を支持しましたし、現在のアリアス大統領が推し進めているアメリカとのFTAでは、核兵器の材料や核廃棄物、その他武器の輸出入などを認めています。

また、平和を「戦争がない」というだけではなく「安心して暮らせる」という広い意味でとらえると、貧富の差は大きいし、治安も悪い、先住民や黒人、ニカラグア人やアジア人への差別は根強いし、銃が多く、ドメスティックバイオレンスも多い。“平和”には程遠い、と思ってしまいました。

コスタリカの“平和”については首をかしげたくなることばかり。例を挙げればキリがありません。「コスタリカは平和な国!」と思って行った私はちょっとがっかりしてしまいましたが、そもそもパラダイスみたいな国があるわけありませんよね…。「平和」というのは作り出して行く過程なのだと学べました。そういう点では、コスタリカもすごいなと思えるところがあります。

例えば、政府は“平和”を外交の軸にしているようで、核兵器禁止条約を国連に提出したり、小火器武器の禁止に積極的に動いていたり、米州人権裁判所や国連平和大学をコスタリカに誘致したりしています。

市民の中に平和運動はほとんどなさそうですが、最高裁判所に憲法法廷があり、市民が気軽に憲法違反かどうか問える仕組みがあります。弁護士のロベルト氏<写真Dロベルト氏>は、大学生の時にパチェコ政権のイラク戦争支持を最高裁判所憲法法廷に訴え(違憲判決が出ました)、現在もアメリカとのFTAの違憲訴訟を行っています。憲法も、ただ持っているだけではなく、チェックしたり、「そんなんじゃぁダメだ、憲法違反だよ」と声をあげないといけないんだなあ、と勉強になりました。

 

<写真@夕食>
<写真Aガジョピント>
<写真B市場>
<写真C盗まれたコード>
<写真Dロベルト氏>

今回で「コスタリカ報告」は最後です。

コスタリカでの半年間、生活しているときは「長い〜!」と感じましたが、振り返ってみるとあっという間。「コスタリカは平和でエコ、人権を大事にする国」というイメージを持って生活して感じた違和感、そのおかげで色々考えることができました。そしてコスタリカで知りあった人たち、友人、それからほんの少しのスペイン語が、私の世界をぐっと広げてくれました。また、日本から離れたことで、日本の良さをたくさん再発見しました。

コスタリカでの成果があったかないかはよくわかりあませんが、行ってよかったなと思います。

読んでくださってありがとうございました。


2008年11月18日
  高部 優子

久しぶりのコスタリカ通信です。
コスタリカのサンホセに滞在して5ヶ月が過ぎました。

【あなどれない雨季】

  コスタリカは、5月から11月までは雨季、12月から4月までが乾季、ということですが、私が滞在した5ヶ月間はばっちり雨季にあたりました。特に今年のサンホセは十数年ぶりの記録的な大雨だそうで、8月から10月までは毎日のように雷と豪雨にみまわれ、激しい雨のときは会話の声が聞こえず、外に出ると5分もしないうちに傘を差していてもGパンどころか下着までびっしょりになってしまうほどでした。知りあいのニカラグア人の家は川が氾濫して床上浸水してしまったし、崖崩れや道路陥没、落雷被害などが報道されていました。(写真:「雨」)

【離婚がやけに多い・女性は今】

  私のコスタリカの友人は、男女問わず、離婚している人がたくさんいます。結婚している人が少ないくらい…。コスタリカの国教はカトリックで、知りあいの40代の女性は、週に1回、数人で聖書を読む会をやって、月に2回、独身者のつどいをやるそうです。離婚理由は、なかなか聞きにくい人もいますが、教えてくれた人は全員「相手の浮気」と言っていました。そもそもカトリックなので1960年の離婚は7組だったそうですが、歴史書によると、1970年ぐらいにスキャンダルや汚職で教会の権威が落ち、子どもの数が減り、女性の発言権が強くなり、1990年ごろから離婚が爆発的に増えたそうです。1990年の離婚率は、結婚の15%だったのが、2004年には41%となったそう。さらに、去年の離婚者数は過去最高だそうです。

 知りあいの離婚した女性たちは、子どもを育てながらバリバリ働いています(ちなみに全員彼氏がいます)。女性の労働者は1973年には全体の1/5だったのが、2005年には1/3に増えたそうです。

 ドメスティックバイオレンスもかなり多いようです。1980年代にはフェミニスト運動がはじまり(DVや男女不平等に対して)、その結果、国会議員選挙の比例代表名簿ではどちらかの性の候補者数を40%盛り込むこととされています。女性議員は、1986年には12%だったのが2006年39%となっています。

【ものすごいジャングル!!エコツアー】

  サンホセの中心地を歩いていると排気ガスのためだと思いますがノドが痛くなります。ゴミの分別もなされていないのでガッカリしましたが、地方のエコツアーはさすがに「エコ」でした。

 郊外を車で走ると、山の頂上まで牧草地になっている光景が目にはいります。山の斜面に貼りついた感じで牛がもくもくと草を食べている姿はのどかですが、コーヒー、バナナ、牛肉生産のためにつぎつぎと森林が切り開かれて、1800年に国土の91.3%が森林だったのが、2000年には38.5%にまでなってしまったそうです。残った森林に対して政府は保全のための政策をとり、国土のほぼ4分の1を国立公園や自然保護区としたそうです。ここではちゃんとゴミの分別もされていました。(写真:エコツアーゴミ箱1,2)

 森林といってもまさにジャングルです。こんなに成長していいのか!というぐらい高い木々や深い緑、ナマケモノや猿、様々な鳥、亀の産卵などを見ることができます。エコツアーに参加して本当によかったです。以前に行ったケニアのサファリもよかったですが、違った意味でサファリに並ぶ素晴らしさ!でした。コスタリカのことを好きになれました。(写真:ジャングルウォーク、サル)

 観光はコスタリカの大きな財源になっているそうです。自然を保全して観光で外貨を稼ぐ、という政策はなかなか良いのでは、と思いました。

 コスタリカの「平和」については、むずかしいです…。次回の通信にまわしたいと思います。



エコツアーゴミ箱1

エコツアーゴミ箱2

ジャングルウォーク

ジャングルのサル
2008年8月23日  笹本  潤

   〜米州人権保障機構・編

 2008年6月から12月まで、コスタリカに留学して人権裁判所や国際法のことを勉強しています。

 コスタリカは日本と並んで軍隊を持たない憲法を持っている国です。しかも日本と違って本当に軍隊がいない。そんな国に招かれて平和や人権について思いっきり学んでみようと、昨年留学を決意しました。

 コスタリカの首都サンホセには米州人権裁判所があります。「米州」というのは米州機構(OAS)のことで、これは南北アメリカのすべての国が加盟している地域共同体です。1948年に発足し、その後1969年には米州人権憲章が作られました。米州機構は、紛争の平和的解決や民主制の推進、貧困の除去、軍縮などの目的を掲げ(OAS憲章2条)、当初はアメリカの支配の道具とも言われましたが、その後中南米諸国が自立的になるに従い、本来の地域共同体の役割を発揮してきています。最近では今年3月のコロンビアとエクアドルの紛争を平和的な話し合いで解決した例があります。

 地域共同体や人権裁判所はアジアにはまだできていませんが、ヨーロッパやアフリカそして米州ではすでに実現しています。アジアでもいつの日かできるように学べるものは学んで帰りたいと思います。

 ここで最初の2ヶ月間調査していたのは、日本の被爆者がアメリカの裁判所や米州人権裁判所に対して、アメリカの原爆投下の責任を問う裁判を起こせるかについての調査です。慣れない英語やスペイン語の文献のためスピードは遅いですが、その可能性について探っているところです。

 下の写真:米州人権裁判所図書館 サンホセ

下の写真:米州人権宣言のテキスト

 米州機構で人権を保障する組織には二つあります。米州人権裁判所と米州人権委員会です。米州人権裁判所はコスタリカにあって判決の効力も強力なのですが、アメリカが米州人権憲章を批准していないため、米州人権裁判所に訴えることはほぼ不可能です。そこで米州人権委員会(所在はワシントン)に個人請願という形で訴えることができないかを現在検討しています。

 米州人権委員会ならば、米州人権条約を批准していない国でも米州機構の加盟国ならば審理の対象になります。ただし、その効力は人権裁判所と違って勧告的意見や調査活動にとどまりますが、米州機構で定めた人権侵害の事実の認定や違法性の判断をしたり、必要な措置をとるように勧告することができます。

 「米州機構で定めた人権」とは、米州機構設立と同じ1948年に定められた米州人権宣言に列挙されている人権のことです。生命の自由、法の前の平等、宗教の自由、公正な裁判を受ける権利など約30の権利・自由が定められています。被爆者のケースで言えば、身体の自由の侵害や正当な補償を受けていないこと、戦後60年以上も放置されてきたことなどを理由に訴えることになります。

            

 しかし、難しい論点もたくさんあります。原爆の投下は米州人権宣言ができた1948年よりも前であること、米州諸国の外部で起こった人権侵害にも審理が及ぶか、などです。直ちに答えが出るような問題ではないですが、被爆の被害が現在でも続いていることや、人権委員会の地域的管轄も徐々に広がってきていること、そしてこのような被爆者の願いを支える運動があること、など有利な条件を生かして個人請願が実現できるように引き続き調査をして行きたいと思います。

 アジアで地域共同体や人権裁判所をつくるのはどうでしょうか。米州の場合、機構の確立と共に、人権保障体制の保障システムを位置づけています。そのため、単に地域機構と人権裁判所が孤立して存在しているのではなくて、米州の人権を米州全体としてどう保障していくのかという観点からの制度が確立しているのが特徴です。

 もちろんこのようなシステムがあるからと言って直ちに紛争や人権侵害がなくなるものではありませんし、現にたくさんの紛争や人権侵害が起こっています。しかしこのような地域共同体全体の仕組みがなければもっと大変なことになっていたでしょう。

 このような地域的な法的システムにおいては、先に挙げた地域機構の理念や人権のカタログなどの理念を基準に判断されますから、その時々の政治情勢や力関係に基づいて恣意的なことが行われにくくなります。そして国内の裁判や立法などでは解決できないことも、地域共同体の人権保障システムが解決できた事例がいくつもあります。アジアにもこのような地域の人権保障システム、紛争解決システムが求められています。

2008年8月13日  高部 優子

早いもので、コスタリカで生活をはじめて2ヶ月が経とうとしています。
実際に来てみて、日本で想像していたコスタリカと違うな〜と思うところがあるので、個人的な経験ですが今回はその報告をしたいと思います。

【コスタリカは“夏の軽井沢”!?】
夏好きの私はそれを聞いて飛び上がるほど嬉しくなりました。
そんなところなら半年と言わず、ずっといたい!
夏ならビーサン、Tシャツ、短パン♪とイソイソとカバンに詰め込んだものの、着いたサンホセは雨季に入ったばかり。
確かに晴れていると風も爽やかでいい感じなのですが、大抵午後になると一気に雲が広がり、雷雨や豪雨になります。
気温もぐっと下がり、短パンやビーサンではとてもいられません。
ホストファミリーは、それでもランニングに短パンで、「う〜、さぶい…」とか言いながらくしゃみをしたり風邪を引いて病院に行ったりしていましたが、最近では長袖、長ズボンのパジャマになっています。
店でも長袖がずいぶん売られるようになりました。
乾季だったら、標高も高く山に囲まれたサンホセは“夏の軽井沢”なのかもしれませんが、今は“梅雨の肌寒い日”が続く日々です(;_;)
そんな中、最も苦労しているのがシャワーです。
バスルームは清潔で快適なのですが、お湯がぬるいというか、ほぼ水なので、毎日相当な気合と覚悟でシャワーを浴びなければなりません。
シャワーのお湯が出てくるところに電熱線が入っていて、水を温める仕組みだそうですが、そんなちょっとの電熱線では、たくさんの温かいお湯は望めません。
1週間に1度、10秒ぐらいぬるま湯が出た時は、本当に嬉しくなります。
あ〜、日本の温泉が懐かしいっ!

【エコの国!?】
エコツアーが有名で、国の24%が国立公園(保護区)。
しかし首都サンホセでは、黒い煙モクモクのバスは走っていますし(規制されているけど実際は走っている)、街ではポイポイとゴミが投げ捨てられています。
ゴミの日は私たちが住む地域は水曜日と土曜日なのですが、特に分別するわけでもなく捨てられています。
川に生活排水を流しているところも見ました。
サンホセ市内にある子ども博物館には環境のコーナーがあり、分別の練習もできるようになっていますが、なかなかサンホセ市内を見る限りではエコに遠いな、という感じがあります。
いつかエコツアーに行ってみたいと思っています。

【人権を大事にする国!?】
コスタリカは、人権裁判所があって、国連平和大学があって平和教育もされていると色々な文献で読んだので、さぞかし人権が大切にされているのだろうと思いきや。
人種差別がかなりあるように思われます。
特に隣国で人口の4分の1を占めるニカラグアの人たちに対しては、根強い差別意識があるようです。
例えば、コスタリカの家は、泥棒を警戒し、2重3重に柵があり、さらにその上に有刺鉄線がぐるぐると輪をかいている厳重さなのですが、コスタリカ人が「日本の家はこんなふうになってないでしょう。この国はニカラグア人が多いから仕方ないのよ。ニカラグア人の犯罪が多いから」と言っいるのを聞きました。
特にニカラグア人の犯罪が多いという根拠はないそうなのですが。
また、アジア人はほとんど「チノ(中国人)」と、一緒くたに呼ばれますが、差別的に呼ばれることも多々あります。
道を歩いていると「ケッ」という感じで「チノ」と言われたり、わざわざ車の窓から顔を出して「チ〜ノ!」と叫ばれたり、全く、そんなことする必要は全然ないのに、ご苦労なことです。
コスタリカ人の友達にも差別のことを聞いてみたら、やはり、ある、全員ではないけど、との答えでした。
例えばコスタリカに住んでいる日本人の友人が、とてもいい人なんだけど、結婚ができない、それは人種差別が理由だ、と言っていました。
黒人や先住民の差別もあり、アメリカ人に対してはちょっとした憧れがあるそうです。
そうは言っても、もちろん素晴らしい人はたくさんいます。
人権を守るために国際的に活躍している人、労働問題を熱心にやっている弁護士さん、スペイン語も話せない私を助けてくれるたくさんの方々。
2ヶ月という短い期間ですが、自分がいかに画一的にコスタリカという国を捉えていたのか、まだまだ不十分ですが少し気づきました。
あと4ヶ月滞在する予定です。
私が見るのは、コスタリカのほんの一面にすぎませんが、それでも何か気づけることがあればいいなと思っています。

ステイ先のシャワールーム

棚のある家

空1(晴れた午前中)

空2(曇ってっくる午後)
2008年6月22日  高部 優子

2008年6月から半年間の予定でコスタリカでの生活を始めました。
コスタリカは結構すごしやすいです。
気温は日差しの下だと暑いけど、朝晩は涼しいです。
初夏の軽井沢って感じです。
でも今は雨季なので、午前中は晴れているけど、午後になるとたまに雷や雨が降ります。
私たちがコスタリカに到着した日も、雷がすごくて・・・。
もうすぐ飛行機がコスタリカ空港に到着するとき、とてもきれいな満月が見えて、その下に積乱雲の中の激しい雷が見えました。
めずらしい光景で、感動して見てました。
が、その後いつまでたっても空港に到着しないんです。
やっと着いたと思ったら、なんとパナマでした。
コスタリカ空港が、積乱雲と雷のところだったようで、あまりの雷と雨で着陸できなかったようです。
パナマでは飛行機に缶詰で3時間。
その後なんとマイアミまで引き返しちゃって、6時間空港でウロウロさせられて(夜中でしたがホテルは支給されませんでした・・)、コスタリカに着いたのは日本を出てから40時間後でした。



コスタリカでは首都サンホセでホームステイをしています。
 (左の写真は首都サンホセ中心街)
29歳のお母さん(離婚したのでお父さんはいません)と小学校の娘2人、3歳の男の子と、もう1人ホームステイをしているアメリカ人の女性と6人暮らしです。
朝と夜ご飯がついて1ヶ月1人約3万円。

 

昼間は、私たちを受け入れてくれた弁護士のカルロス・バルガスさんのもとで勉強をしています。
バルガスさんは9条世界会議にも参加されたコスタリカの弁護士さんです。
時差ぼけもなおっていないのに、いきなり米州人権裁判所の図書館に缶詰にされ、英語の本をどさっと渡され、「コスタリカは山はきれいでご飯もおいしい。地方には温泉もあるし町には公園がたくさんある。しかし、君たちは、そんなことを全て忘れて本を読むんだ!遊ぶこと、食べること、家族のこと、全て忘れて本を読め。トイレの中でも本を読め!」というのです・・・。

  (右の写真が人権裁判所の図書館)
そして1日の終りにバルガスさんの事務所に行って、今日読んだところをバルガスさんに話して(英語かスペイン語で!)、講義をしてもらうのですが、すごく厳しいんです。彼はコスタリカ大学の教授でもあるようなので、そういう方からじきじきに教えていただくのはありがたいんですが・・・。
彼は、「米州にも欧州にも人権裁判所があるけど、アジアにはない。もしアジア人権裁判所ができたら、”慰安婦”とか毒ガス、戦後補償問題あれこれ、在日、靖国などなどそこで訴えを起こせる」と言っていました。
私の大学院の研究テーマである紛争予防、解決の方法に合致している点もあるので、頑張って勉強します。
中南米では安全だと言われているコスタリカでも、最近とても危険になったようで、ビデオカメラを持って1人でのんびり撮影、というのはできていません。
でもスキをみて撮影して、みなさんにコスタリカの映像をもって帰りたいと思っています。