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2005年8月20日 調布「憲法ひろば」夏期合宿での講演 |
こんにちは、ただいまご紹介いただきました川村です。私、今お話が出ました堀尾輝久先生が大学院を出て初めて教えた生徒の一人で、卒業した年が1965年でした。前年の64年に内閣の憲法調査会、この前報告書を出した国会の憲法調査会とは違って、内閣の憲法調査会が答申を出しています。そのため、翌年の65年1月、末川博さん、平塚らいてうさんなどが呼びかけられた「憲法会議」という組織にそのまま入って、ちょうど今年で40年になります。去年「九条の会」が発足するにあたって、それだけ長いことやってきたのだから、人生のしめくくりに事務局を手伝えといわれまして、事務局の一人をさせていただいています。今日は私の話が中心ではなくておそらくみなさんの討議が中心だと思うので、私はこの前(2月13日・第1回調布「憲法ひろば」)の高田さんのお話をニュースなどで見ましたので、それを踏まえながらいくつかの問題提起をさせていただきたいと思っています。 1、今の改憲の動きをどう見るか (1)大きな時代の流れで見ると *小泉首相の国会解散の意味するもの 最初に今の日本の改憲論議をどう見るかということですが、そのことを象徴しているのが今度の小泉さんの解散劇ではないかと思っています。一体あれはどういう解散なんだろうか。憲法によると衆議院で不信任決議が採択された時に内閣は総辞職するか国会を解散しなければならないと書いてありますが、これは非常に重い意味があると思います。というのは、国会議員というのは私たちが直接選んだ「特別公務員」ですね。それを首相がクビにするわけです。従って国民の意思に背いて国会が動いていると誰もが思うときに解散権は使えるということです。ところが今度の場合を見ると、衆議院は郵政民営化法案を可決しているんですね。否決したのは参議院です。にもかかわらず衆議院を解散する。これを憲法的にどう説明するのか。私は何人かの憲法学者に聴きましたが、一番ぴったりきたのは、一ツ橋大学名誉教授の杉原先生の話です。たまたま電話をかけてこられたので伺ったら、「あれは君主の議会に対するやり方だ」。たとえば、戦前の日本には帝国議会がありましたが、これは天皇の翼賛機関です。この翼賛議会が君主のいうことをきかない、君主に反抗するような場合には報復的に解散しても、これは当然許される。そういえば中世以来、議会を召集して気に食わないと解散し、100年も200年も議会を召集しなかった君主もヨーロッパには何人もおり、それが市民革命の引き金になったりしています。小泉さんの行為というのは君主気取りで、報復として議会を解散した、そういう性格のものです。その小泉さんがいわば陣頭に立って今度の改憲の動きを進めてきた、これは後で特徴だけ申し上げたいと思いますが、今度の改憲案にいろんな意味で反映していると思います。その中でも、今度の改憲案の大きな特徴、それは人の命に関わるということです。 *平均寿命に見る憲法の発展 7月30日の有明講演会に参加された方はお聞きになったと思いますが、井上ひさしさんが冒頭に述べられたように、1945年、敗戦の年の日本人の平均寿命は、男子23.7歳、女子は32.3歳です。なぜこんなに下がったかといえば、いうまでもなく戦争の犠牲になった。弾に当たって死ぬというだけではなくて、栄養失調やなんか色んな要素もあると思いますが、ここまで戦争というものは人の命を縮めたということ、このことをずうっと考えながらいろんな資料を見ていて気がついたのは、実は1800年代、つまり19世紀にはもっとすごい状況が生じているんです。 1842年、イギリスのリバプールという工業都市について、イギリスの王室の調査機関が調べた平均寿命ですが、上流階級は35歳、商工業者は22歳、労働者は15歳、これが平均寿命です。なぜこんなになるのか。たとえば労働者の15歳についてみると、3歳からの労働があるんです。15,6時間の労働は当たり前。3歳からの労働って、みなさんお孫さんとかお子さんを思い浮かべて何ができると思いますか。朝から晩まで炭坑の入り口に座ってトロッコの番をしてます。それでなにがしかの、お小遣いじゃないです、賃金をもらって、それで、お父さんお母さん、お兄さんお姉さんがもらってくる賃金を集めて一家がようやく成り立つ、そういう時代だったんですね。産業革命が最高潮に達したんですが、この当時当然憲法はありましたよ。言論表現の自由とか集会の自由とか、言葉だけはありました。しかし何が一番重視されたかというと財産権、あるいは経営権、契約権というものです。そういうものが一番重視されるもとでは、たとえば労働者が団結して労働組合をつくって企業主と交渉するというのは経営権の侵害ですから犯罪です。こうして労働者は抵抗できないようにされていますから当然長時間、低賃金労働がはびこる。そして当時の政府は今の小泉さんと同じで、小さい政府ということを言っていて、社会保障は勿論ありません。住宅政策も道路政策もありません。従って職場が厳しいだけでなく、帰れば暗くジメジメした住居、そして道路には排水が溢れ、空は煤煙が覆った、そういう環境の中で過ごしていた・・・・この数字はこういうことをしめしている。 これは決してイギリスの特殊事情ではなくて、例えばフランスでも同じ時期に労働者の平均寿命は20歳という数字が出ています。1810年前後にフランスではナポレオンが戦争しているんですが、この当時の平均寿命28歳、そうすると、戦争よりも産業革命がどんどん進んでいるときのほうが寿命が縮まっているんです。当時は徴兵制はありませんでしたし、今みたいに大量破壊兵器がなかったからそうなんです。 *近代憲法」から「現代憲法」への発展の中で こうして黙っていてもどんどん命が切り縮められるということで、憲法を見直す運動が、例えばイギリスでは参政権、普通選挙権を認めろという運動になって発展したし、大陸では社会主義運動が盛んになっていきます。そういう形で、私たちは資本主義書記の憲法を「近代憲法」といっていますが、その「近代憲法」から「現代憲法」へと発展していきます。 生命を縮めるもうひとつの要因は、戦争。資本主義が発達すれば国内だけでは賄いきれません。原料、労働力、市場を確保するために外へ出て行く。発達の遅れた国々を植民地にしていく。しかし遅れた国々がどこも大国の支配下に入ると、今度は大国同士が縄張り争いをする時代になっていく。そうすると戦争の規模もナポレオン戦争の頃の話ではなくて拡大していくわけです。第一次世界大戦では2000万の犠牲者、このとき初めて戦車とか毒ガスとか、飛行機とか言うようなものが戦争に動員されるようになりましたから、民間人の犠牲者も増えてきます。2000万と言いましたけれど、このうち軍人の数は実は880万。半分以上が民間人。これが第二次世界大戦になると色いろな統計がありますが一応5000万といわれています。色いろな統計があるというのは、最も多くの犠牲を出した中国・ソ連の数字がはっきりしないからですが、いずれにしても大体5000万程度の人たちが戦争で命を失くした。5000万というとイギリスの人口にほぼ匹敵します。 ということで「近代憲法」のもとでは、大きく言って2つの要素で人の命は縮められる。ひとつは戦争、ひとつは弱肉強食、お金をもった人が儲けのために人権を侵害していくということです。こういうことに対して20世紀にはいってできていったのが「現代憲法」といわれます。 社会保障とか、教育を受ける権利、あるいは働く者の団結する権利、大きく言って生存権や教育を受ける権利、労働権などを含む社会的権利といわれるものが各国憲法にとりいれられていった。 もうひとつは、戦争を違法のものとみなす、19世紀までは無差別戦争観というものが支配的で、戦争はすべて合法的だったんですが1928年の「不戦条約」、1945年の「国連憲章」を通じて戦争は原則として違法とされた。特に「国連憲章」の場合は、相手国から武力攻撃を受けた場合に国連が必要な措置をとるまでの間に限定して自衛権の行使を認める、という措置をとります。この国連の措置は、その後残念ながら米ソの対立でしばらくの間機能しない状態が長くつづきました。 しかし私が注目したいと思っているのは、この「国連憲章」あるいはその前の「不戦条約」の規定を受けて、各国の憲法の中にいわゆる平和条項が多くとりいれられるようになったことです。私が今日持っているのは、名うての改憲論者の西修さんという人がつくった「世界の憲法の中の平和条項」というものですが、何らかの形で憲法に平和条項を盛り込んでいる国がどのくらいあるか。今国連に193カ国加盟国があります。そのうち150カ国くらいです。西さんはだから日本の憲法は特殊じゃないんだ、平和憲法なんて特別視する必要はないんだ、変えるときにはどんどん変えたほうがいいんだ、という方向に結論をもっていくんです。しかしよくみると、150近くの国が皆同じように平和を語っているわけではありません。一番一般的なのが、不戦条約がそうだったわけですが、「侵略戦争をしてはいけない」と憲法に書く。これは西さんの表だと13あります。ドイツ・フランス・バーレーン・キューバ・韓国・ブラジル云々。私が調べたのでは40いくつあったと思いますが、ここでは出てきませんが。イタリアなんかもここでは抜けてます。ともかくそういうことを書く。あるいは「核兵器の禁止・排除」、これは11あります。パラオ・フィリピン・ニカラグア・アフガニスタン(これは前のアフガニスタンでしょうが)・モザンビーク・コロンビア云々。あるいは「平和外交をしなければならない」と書いているのがインドなどです。もうちょっと進むと、最近有名になったコスタリカ、あるいはパナマですが「常備軍の禁止」ということを憲法に書いています。「常備軍の禁止」とは、平和な時代に軍隊をもたないということであって、戦争になったら軍隊持ちますよ、ということなんです。だからコスタリカの憲法には軍の編成とか指揮系統ということは書いてあります。ただし、コスタリカの場合、1949年この憲法を制定して以来1回も軍隊をもっていない。 つまり色んなレベルがあって、それを最も徹底させたのが「日本国憲法第9条」です。 このように「近代憲法」から「現代憲法」へ世界の憲法は発展してきている。つまり20世紀に入って以降の憲法は社会権と平和主義、これを魂として定着させてきたのではないかと思っています。 (2)自民党「新憲法第一次案」(8月1日)の特徴 ところが今の改憲論です。こういう憲法発展の流れを見ているのか。さっき小泉さんは封建君主並みの考え方を持っているといいましたが、それがそのまま出てきているかどうかはともかく、色んな形でそれが表れているのではないかと思います。8月1日に自民党は「新憲法第一次案」を発表しました。その前段として7月7日に「憲法要綱第一素案」を出していましてそれを条文化したものです。自民党の新憲法起草委員会、これは憲法改正委員会ではないんです。「新憲法」なんです。一部分を変えるというのではなくて、全部を変えるということで発足しているということをまず抑えておかなければなりません。 *焦点は「9条」 その「第一次案」では何を提案したのかというと、これは記者会見で桝添要一さんという新憲法起草委員会の事務局次長が、「憲法9条の2項と96条を変えればまず第1回目は成功だ、憲法に風穴を開けることができる」と言っています。これは前回で高田さんも話しています。実は4月に経団連がだした「わが国の基本問題を考える」という提言で、色いろあるけれどもこの2つをやればいいといっていますが、そのままことを舛添さんもいっている。まず9条2項を変えること、これは一番急ぐことです。それから96条、ご承知のように憲法改正の要件を定めています。衆参各院で3分の2以上の賛成で発議して、国民投票で過半数の賛成を得る。この3分の2を、過半数の賛成で発議できるようにして国民投票にもちこめるようにする。こうすると、何も自民党と民主党が一致しなければならないということではなくなるわけですね。与党単独で、今でいえば自民党と公明党だけで改憲の発議ができるわけです。民主党も逆に自分が政権をとり、民主党政権の下で改憲をしたいと言っていますから、この改憲条項を緩和したい。特に民主党は3分の2の賛成があった場合は国民投票は必要ない、衆参両院でそれぞれ3分の2が賛成したら、国民投票も要らないという案になっています。 しかも8月1日の「第一次案」発表後の記者会見で、自民党起草委員会の幹部は、「これによって毎年でも憲法を変えていくんだ」と言っています。最初は9条2項と96条を変える。これが一番急ぐ。そして96条を変えれば楽になるから、その後はほかの部分もどんどん変えていくということなんです。 では、具体的に変えられる内容としてどんなことが提起されているか。 いうまでもなくまず9条。第1項もちょっと手をいれたようですが、言いたいことは「侵略からわが国を防衛するため自衛軍を保持する」「自衛軍は自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びに我が国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる」。これをみると今自衛隊のやっていることとあんまり変わらないんじゃないですか。我が国を防衛するため自衛軍を保持すると言っていますが、自衛隊の任務は何かというと自衛隊法第3条に書いてありますが、「直接侵略及び間接侵略から我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じて公共の秩序の維持にあたる」。書いてないのは国際的な活動だけです。ですから、自衛のために必要な限度の活動のほか、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に行われる活動に協調し参加する。しかしこれはもうやってますよね。アフガニスタンに行き、イラクに行っています。どう違うのか、というと桝添さん記者会見で言いました。「自衛といえば、国際的には集団的自衛権も個別的自衛権も含むのが当たり前、そんな区別は今後はもうしない、そんな不毛な論議はもうしない」というのが第一点です。今まで日本政府の見解は、個別的自衛権、つまりどこかの国から攻められたとき日本がそれに対処する、これはできるけれども、日本が攻撃されていなくても同盟国と一緒に戦争する集団的自衛権の行使は、憲法9条のもとでは許されないと。だから安保条約を作るとき苦労したんですね。日本が攻められたときには日本とアメリカが一緒に戦うことになっています。しかし、例えばアメリカのワシントンが攻撃を受けたとき自衛隊が出て行って一緒に戦うようにはなっていません。辛うじて日本はアメリカに基地を提供しており、この在日米軍基地が攻撃された時に自衛隊は米軍といっしょに戦うから一方的にアメリカに守ってもらうわけではない、と言って安保条約を結びました。つまり、今までは日本を守る以外の目的でアメリカと一緒に戦争することはできない。つまり集団的自衛権が行使できない。1999年に「周辺事態法」という法律を作ったときも苦労しました。アメリカが例えば朝鮮半島で戦争を起こしたときに自衛隊がこれを支援する。しかし日本が攻められていないのですからアメリカと一緒に戦うわけにいかないので、後方地域支援、アメリカと一体にならないように、補給とか輸送などの支援をするだけだと、そういう言い逃れをしました。けれども、ともかく今までは集団的自衛権の行使はできないと言っていたのを、「侵略から我が国を防衛するために自衛軍を保持する」と、こう書くだけで、もう何をやっていいということになる。 それから国際社会での活動、先ほどアフガニスタンにもイラクにも行っていると言いましたが、ご承知のように、アフガンやイラクに行っている自衛隊は武力行使をしないこいとを建前としている。それは、武力行使の目的で武装した部隊が海外に出ていく海外派兵も9条のもとでは許されない、と言ってきたからです。自衛隊はあくまで日本を守るための(「戦力」とは言えないものですから)実力組織だからです。ですから、武装していきながら、外国の軍隊に守ってもらいながら給水や道路修復などをするということにならざるを得ない。しかし、国際社会の平和及び安全確保のために活動できるとなると、これは軍事力を使ってもいいということになる。7月7日の要綱の段階では前文に盛り込む事項が書いてあります、がその中にこんな言葉があります。「地球上いずこにおいても圧政や人権侵害を排除するための不断の努力を怠らない」。地球上のどこででも、圧政や人権侵害があったら、それを排除するということを憲法の前文に書くというのです。例えばイラクの場合、最初アメリカは大量破壊兵器があるから防衛のためだといいましたが、無いのが分かった後は、イラクの民主化のためだといいました。そういう口実で日本の軍隊を使うことができるということになるわけです。そういう意味では、先ほど言いましたけれども、国際社会が積み上げてきた平和への努力は、これによって全部棚上げされる。世界の憲法の中でも最も徹底した平和主義というのが、まったく意味を持たなくなってしまうということになると思います。 ついでに言っておきますと、昨日までに自民党、民主党、公明党のいわゆるマニフェストが発表されました。三党とも改憲に向けての宣言をしています。自民党は明確に11月15日までに改憲案をまとめる。民主党は時期は明記していませんが憲法提言を発表します。そこでは、自衛権はもちろん認めるし、国連の決議がある場合には武力行使をしてもいいことを明記する方向です。それから。公明党は今検討中であるけれども9条の1項2項はそのままにして、第3項に自衛権と国際貢献を明記する。自衛権を明記すれば戦力の放棄は意味がなくなります。国際貢献を明記すれば海外での活動も自由にできる。うまく考えたと思うんですが、自衛権を保持するということと国際貢献を書けば3党一致するんです。3分の2になるんです。そういう問題がひとつあるということ、それからあわせて普通の国の軍隊になるんだから軍事裁判所を設置するというようなことが書きこまれています。 それから「公共の福祉」という言葉を、「公益及び公の秩序」という言葉に書き換える。今の憲法の12条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」とあります。これまで日本政府は、この「公共の福祉」を、例えばビラ貼りや集会にたいする規制、さらには公務員労働者のスト権剥奪の理由に使ってきました。国民全体の利益に反すると。しかし、「公共の福祉」のこのような運用は、例えば国連の人権委員会などで絶えず批判されてきました。というのは、もともとこれはフランス革命以来の「近代憲法」の原則なんですが、自由とは他人の権利を害する以外の何でもしていいということ、逆をいうと他人の人権を侵害する場合のみ自由や権利を制限できるということです。たとえば個人のプライバシーの権利と報道などの表現の自由との対立が起こる。週刊誌が個人の家庭の中まで暴いて書くのはプライバシーの侵害で許されない。私人同士で権利の衝突が起こった場合、どちらを優先するかが「公共の福祉」であって、国家が国民の自由や人権を制限するために使ってはいけないという批判を日本政府は受けてきた。それを今度は更に強い「公益及び公の秩序」という言葉に書き換える。公益というのは一体誰が判断するのか。公の秩序とは勿論今の支配体制を維持することです。というようなことで人権全体に網をかける規定です。さらに政教分離については、社会的儀礼の範囲内である場合は国やその機関が宗教的活動をしてもいいし、公のお金を出してもいい。いうまでもなく靖国神社へ首相ばかりか天皇の公式参拝も復活させるためであろうと思います。 *地方自治の改憲にあわせて もう一つ注目すべきは地方自治についてのむ改憲構想です。地方自治についても細かいことを書いています。どういうことを書いているかというと、国民生活にかかる基本的な事務は今後地方自治体にまかせます、教育とか医療、環境問題等々です。ただし財源は自主的に確保してください、地方税をそのままやってもいいし、地方自治体がもっている財産をそのために使ってもいい、というのです。さらに住民にたいしても、地方自治体のサービスを平等に受ける権利持つと同時に、その負担を分担する義務を負うというのです。「義務」という強い言葉が使われています。一般的に納税の義務があるだけではなくて、地方自治体の必要な経費を分担する義務を負わせるのです。実はこれまでの改憲案の中では、「社会的費用負担の義務」というのがずうっとつきまとっています。つまり、年金とか、社会保障、健康保険等々の負担を国民の義務にするということです。これが今年4月段階では自民党の分科会のひとつでまとめられています。最初に言い出したのは読売新聞社が去年5月に発表した改憲案です。今の憲法の25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」につづけて、第2項で「国は社会福祉、社会保障の向上に努めなければならない」としています。読売改憲案はこの2項を、「国民は社会福祉、社会保障向上の責務を有する」とする。つまり、今は国や自治体が社会福祉、社会保障を推進しなければならないことになっていますが、これを国民の義務にする。これが社会福祉、社会保障といえるかという問題がありますが、それを「社会的費用負担の責務」と言っていました。今度の自民党案は、地方自治のところにそれを持ち込んだんです。つまり、全国どこに住んでいても最低限の福祉や教育をうける国民の権利を保障するという国の責任を全部放棄するということです。 いっぺんに何から何まで変えるというのではないでしょう。今後毎年改憲していくというのですが、そういう方向にむけてくつかの布石――生活とか権利の問題についても会見の方向性を打ち出している。ということは、さきほどずい分昔の平均寿命の話を持ち出しましたが、それこそ19世紀半ばの弱肉強食の時代にまったく逆戻りさせてしまう、それこそ人の命を縮めることになりかねない、そういう状況になるんではないだろうかと思っています。 おそらく今日私に期待されているのはそういう話ではなくて、「九条の会」としてどう運動していくかということだと思うので、この話はこの程度にとどめます。 2、国民は憲法に何を望んでいるか では憲法の問題で、国民が本当に望んでいるのは何かということを世論調査などを中心に考えてみたいと思います。 *「読売新聞」(05年4月) 憲法に関する世論の傾向は大体どの調査でも共通しています。改憲にもつとも力をいれていると思われる「読売」を敢えてとりあげます。「あなたは今の憲法を改正する方が良いと思いますか、しない方が良いと思いますか」で「改正する方が良い」が60.6%、「改正しない方が良い」が26.6%とかなり差が開いています。9条については他の世論調査と同じように改憲反対の方が多い。ところが、なぜ「読売」をひいたかというと、こういう質問をしているからです。「戦争を放棄し、戦力を持たないとした憲法9条をめぐる問題について、政府はこれまで解釈や運用によって対応してきました。あなたは憲法第9条について、今後どうすればよいと思いますか」。これに対する回答の選択肢として、「解釈や運用で対応するのは限界なので、憲法第9条を改正する」(43.6%)、「これまで通り解釈や運用で対応する、厳密に憲法を守る」(45.2%)。こんな世論調査が一体許されるのかと思います。「解釈や運用」というのは、実際には憲法の本来の意味の否定であり、これを当然のように扱うことは立憲政治の否定です。それでも数字的に言えば「改正反対」の方が上回っています。「朝日」なんかでは「反対」が50%を超えているわけです。そのため、集団的自衛権の行使や海外派兵はできないという歯止めをもうけざるをえない。これをどうにかしなきければならないわけです。そこでさっき言ったような自民党式の改憲案が出てくる。例えば朝日新聞の去年5月でしたかの調査によると、自衛隊の現状を認めるだけの改憲なら賛成というのは58%にのぼります。9条改憲は反対だけれども自衛隊を認めるだけならいい、逆に海外で戦争するために9条を変えるとなると2%くらいしか賛成はいない。つまり聞き方によってガラッと変わってくるわけですが、基本的には国民は憲法の中身を「平和」ということで守りたいと思っているわけです。 特に注目したいのは、「読売」が同じ調査の質問です。「あなたは日本の憲法では、とくにどのような理念や考え方を強調するのが望ましいと考えますか、3つあげてください」。トップが「平和の大切さ」67.9%、「自然や環境の保護」39.4%、「国際社会への貢献」28.7%、「教育・文化の振興」25.1%、5番目は「平等の重視」22.4%、6番目に「歴史・文化・伝統の尊重」というのがありますが20%です。少なくとも5番目までは、今の憲法を実施するほうがこれをもっと徹底して保障できる内容です。例えば国際社会への貢献、これは各党のマニフェストをみると、大体自衛隊を海外に出すという話になる。果たして世界で日本の自衛隊が来ることを望んでいる国がどのくらいあるのか。現在のイラクでもサマワでイラクと日本の友好協会ができたそうですが、強い批判に遭って解散したそうです。 こういうこともあるのかと感心したのは、もう3,4ヶ月くらい前になりますか、NHKが紹介した番組で、たしかギニアだったと思います、フランスの植民地下にあって、ようやくフランスを追い払って独立した。ところが国土に関する資料を全部フランスが持ち帰ってしまった。そこで日本政府に対して地理を調査する専門技師を送ってほしいと要請があり、日本人が最終的には30人くらい行ったそうですが、詳細に地形図を作って、どの川からどう水路を引けば畑ができ、住宅地ができるかという、そういう協力をして非常に感謝されたという。そういうことをすることが本当の意味の国際貢献じゃないかと思います。決して9条を変えて軍隊を送ることが国際貢献ではありません。 *自民党憲法調査会(97年) しかし、なぜ、憲法を変えた方がいいという回答が多数になるのか。それは、国民が憲法をどれだけ自分のものにしているかとかかわってくると思います。 実は自民党は今回の改憲の動きをやみくもに始めたわけではありません。改憲を始めるにあたって民間の調査機関を使って憲法についての世論調査を行っています。その調査の第1問が、「あなたは日本国憲法を読んだことがありますか」。「よく読んだ」3.6% 、「ある程度読んだ」25.6%、あわせて29%です。「ほとんど読んでいない」29.6%。「まったく読んでいない」41.3%、あわせて70%です。で、この問の後に「あなたは憲法を変えた方がいいと思いますか」という質問に対し56%が「変えた方がいい」と答えています。日本高等学校教職員組合という高校の先生方の組合がありますが、5年に1回高校生を対象に調査しています。似たような調査です。調査件数が1万人ですから、普通のこういう世論調査よりはるかに対象が多いんですが、「ある程度読んだ」というのを含めて20%くらいです。高校の先生の前でそういう話をすると大変残念がられます。一生懸命に憲法の学習に力を入れておられる先生がいることは事実なんですが、現在の教育体系の中ではそういう結果にならざるを得ない。受験重視で、憲法まで授業がいくかどうか、というような状況が続いています。ましてそういう人たちが社会へ出ていけば、大企業の中には「憲法なんて門の前に置いてこい」という所も少なくないわけです。読んだことがないわけではないけれども憲法は縁遠いものだと思わされているのは事実です。 「平和の大切さ」を強調してほしいという人が67.9%にのぼる。そうだとしたら9条を守ることではないですか。自然や環境を守るというのなら25条や13条に個人の尊重ということが書いてある、これをもとに裁判所は「環境権」という言葉は使っていませんが、公害規制を求める判決を出している。国民の要求は憲法の定めている内容と一致している。だから大きな課題として憲法をもう一度自分たちのものとしてとらえなおす、そういう運動がいま求められていると思います。私が青年の中の学習会に行ってとくに感じることですが、職場では憲法の話をできる雰囲気ではないというんです。“お前そんなバカなこと考えてるのか”みたいなことになるというんです。そういう空気から変えていかないとだめだという気がしています。 3、「うねり」を「大きな波」に そういう意味では、「九条の会」は2年目にはいりましたが、さきほど開会のご挨拶にもありましたように、どれだけ多くの人びととのネットワークをつくるのか、ということがすべてではないかと思います。昨年の6月10日、発足の記者会見で、加藤周一さんが「この組織は上から方針を出して号令を出すものではありません。それぞれの憲法に対する思いをつなぎ合わせて、今の改憲の動きではだめなんだということをみんなで確認しあう、そういうネットワーク作りが『九条の会』をつくった趣旨です」と言われ、今年の4月の記者会見でもまたそのことを言われました。 *各地にひろがる「九条の会」 全国的にデコボコはありますけれども、この1年間に「九条の会」のアピールに応え、そういう趣旨を実現しようということで、全国で3026のさまざまな「会」がつくられました。地域だけではなく、女性の「九条の会」とか宗教者の会とか、という分野別にもつくられました。そこでめざしているのはやはりネットワークをどう広げるかということです。今まで私たち、というより私といったほうがいいでしょうか、40年間も同じ仕事をしてきたものですから経験主義が身にしみついて、接触できる範囲というのはほんとうに狭くなっています。それを隣近所でも、職場でも憲法の話ができるような雰囲気をつくるためにはどうするか、ということを、みなさんも先ほどのご挨拶にあったように苦労されているように、全国的にもみんな苦労しています。 例えば京都では「九条の会」が発足する以前に、広い範囲の人たちの呼びかけによって「府民過半数の署名を集める会」というのができ、ほんとうに府民過半数の署名を集めるにはどうしたらいいかを論議している時、たまたま「九条の会」ができ、“この精神だ”ということになったそうです。そし論議したことはどれだけ多くの地域の会をつくるか、ということで、これまで235の地域に「九条の会」がつくられています。目標は小学校区単位、ここに焦点をあてて「九条の会」をつくる。それと、京都はお寺さんの多いところですから、宗教者の会とか、あるいは女性の「九条の会」とか、という分野別の組織をつくって、小学校区でいえばPTAの仲間たちの間で話題にしていく、とういうような努力をされていると聞いています。全国でそういう会の数が200を超えているところをあげると、北海道が251――北海道は広い地域ですから250あってもまだまだ点の感じですが、神奈川が207、大阪が262というようなことになっています。 *過半数を確保するために これは神奈川県の秦野の話ですが、去年の7月に準備会をつくって未だに準備会のままです。というのはほんとうに区民の目に見える「会」になったとき正式に発足しよう、それまではどんどんどんどん賛同者を増やそうということです。ある一人の女性が奮闘して、県内の国会議員から県会議員、市会議員、町会議員、自分の地域の人に次つぎと手紙を書いて、ぜひこの趣旨に賛同してくれ、会えるなら会ってほしいと。たまたまその1人の中に河野洋平さんがいたそうです。会って話をしてみたいというので会の人たち6人で会いに行ったそうですが、河野さんはその席上で「私も9条を変えるのは反対です」という表明をされました。それが新聞に載ったわけです。そういう形でいわば陣地戦というと軍国主義的な話になりますが、今までの呼びかけの範囲をどう広げていくか、という努力。 私がこの1年で一番印象に残っているのは、「九条の会」アピールに応える宗教者の組織です。「9条を守る宗教者の和」というのですが、私たち平気で「思想、信条、宗教の違いを超えて」などといいますが、宗教の違いを超えるのはこんなに大変なのかと思いました。まず仏教とキリスト教の方々が集まるにも、教会にするのかお寺にするかでもいろいろあるわけです。それを乗り越えてともかく9条をまもらなければならんということでした。それは「殺すなかれ」という宗教の教えと、戦前の侵略戦争に協力させられたという反省が共通した想いとしてあったからです。例えばその呼びかけ人の一人になられた有馬頼底さんという、金閣寺と銀閣寺の住職を兼ねておられる方です。でも全国的な「宗教の和」の呼びかけ人になり、地元の金閣寺のあるところの地域の会の呼びかけ人を積極的に引き受けておられる。やっぱりいまの状況では黙ってはいられないという、そういう想いが分野別の会には広範に結集されています。 私たちも、2年目にはいったら1年目に築いた陣地をもっと広げなければならないということで、7月に有明講演会を開くときに論議しました。地方都市での講演会を今まで8回、東京の発足記念講演会を入れると9回やってきました。どこも超満員でした。そして、こういう講演会はじめてだという人が多いんですが、しかし伝達手段というのは限られています。ホームページでもよびかけましたが、何らかの組織と関係ないとこういう講演会があるということもわかりません。地方によっては事前記事を書いてくれるマスコミもありましたが、そうならないところがほとんどです。ですから有明講演会をするにあたってはともかくできるだけ平等に多くの人にこういう講演会があることを知らせようようと努力しました。具体的には新聞への意見広告という形で朝日・毎日・東京新聞に「九条の会」の紹介と講演会の紹介を載せました。事務局としてはそのお金集めも一緒にしなければならないので忙しい思いをしました。しかし、例えば当日子ども連れのお母さんがいらっしゃったんですが、どんなことで今日のことを知られましたかと聞いたら、横浜市の方なんですが「4月に町でポスターを見かけた。いいものができたと注目していたところに新聞で意見広告が出たから今日は聞きにきました」という、そういう方が多数いらっしゃった。これは私たちはじめての体験です。また、この集会への参加は完全に機会均等にしようということで、まわりの皆さんから大分不評を買ったんですが、参加にあたっては返信用封筒同封で申し込んでください、1人1枚です、団体には参加券はおろしません、という方式をとりました。しかし、全国から申し込みを寄せられ、当日は9500人があの広い会場を埋めました。ふだん私たちの声の届かないところに、なんとか自分の意志を表明したいという人たちがこれだけいる、ということを強く感じました。 これは私自身が経験したことですが、「九条の会」が発足したときに事務局にかかってくる電話で、「私も九条の会にはいりたい」という方がずいぶん多くいらっしゃいました。「九条の会」は9人の方の組織ですから、ぜひみなさんの周りで、同じような志をもつ人たちといっしょに地域の会を作っていただけませんかと説明して「わかりました」と言ってくれる方はいいんです。「私のまわりにそういう友達いないんです」と言われたときには本当に困りました。「必ずそういう呼びかけが地域に広まりますから」と言うほかありませんでした。今日の改憲の動きに心を痛めながら、参加できる場のない人たちにどう働きかけをしていくか、ということが大きな課題だと思います。 そのためには、あらゆる機会に「会」への賛同・参加をよびかけていくことが大事だと思います。私は、群馬県の「利根沼田九条の会」の発足総会に参加させていただきましたが、元自民党の支部長という方と、地域のキリスト教の牧師さんが話をされて、ほんとうに胸に沁みるような話をされました。その広がりにも感心しましたが、それに安住していないのです。この日までにアピールへの賛同署名運動をして千人の賛同得ていたということでしたが、1週間ほど前に聞いたら今3500人に広げたという話です。広げることが活動で、隣のおばさんから始めて、ということで、みんなが取り組んでいるということです。 *さらなるひろがりをめざして 「九条の会」が有明講演会で訴えたことの1つは、「地域の会を文字通り数千から数万の単位にしていくこと」です。発足の時と違うのは、「すべての地区町村、地域、学区、学校、職場に九条の会を」と、「学区」を加えたことです。そのぐらいの視野で考えよう。小学校区は全国で2万4千あるそうです。そういう目標も一つです。それからすでに長野とか京都では「過半数署名」運動をしています。これをすべての県でやるということでは必ずしも一致しないと思いますが、署名も含めて、マスコミやその地域に住む国会議員にたいする手紙運動、あるいはポスターでもワッペンなどで自分たちの9条を守る意志を表明していこう、というようなことも提起しました。同時にみなさんがやられている学習運動です。これからは手を変え品を変え、本質が見えなくかる改憲キャンペーンが張られてくるでしょう。これをうちやぶる運動はこの1年間、この前の有明講演会もその一つですが、全国でおこなわれてきました。 こうした運動を国内の大マスコミはほとんど無視しています。ところが1年間たってて変わったなあと思ったのは地方マスコミです。例えば同じ大新聞でも本社と地方は違うのですね。その地方で開かれている講演会を大々的に紹介するようになりました。地域の「九条の会」を取材し紹介する記事も増えています。新聞経営も読者の支持に依存しているわけですから、地域の動きを無視するわけにはいかないということです。同時に、海外のマスコミ、とくに韓国や中国のマスコミが、この1年間「九条の会」の講演会についてきています。有明講演会ではアメリカに拠点を置くAPという通信社、フランスに拠点を置くAFPという通信社も取材に来ました。どんな記事が載るかと思っていたら、メキシコの新聞に半ページ取って有明講演会の記事と写真が載ったので驚きました。アジアだけではなく世界が日本の9条を守る運動に注目し始めている。、そういう状況が生まれてきています。私たち自身も責任の重さを感じました。 自民党はこの選挙が終わった後11月15日までに改憲案をまとめる、そして国民投票法案を国会に出す、ということを公約に盛り込みました。国民投票法はおそらく自民党と民主党が合意するものとなっていくでしょうが、どんな内容になるにしろ、それは憲法改悪、なかんずく9条の改悪をめざすものとなり、国民投票のハードルを低くするものとなることは間違いありません。そういう意味で私たちは国民投票にまで至らないような世論をいち早く作りあげること、つまり国民投票をやっても過半数をとれないということを明らかにするような運動が、改憲を許さない最も確実な保証であることを基本にする必要があると思います。一般の法律と違って、私たちが多数を握っている限り国会でどんなに反動的な憲法案ができても、これを阻止することができます。同時に、これはある財界幹部の方が話してくれたことですが、アメリカは本当に心配している、憲法を変える動きをこれだけ内外に表明しながら、もし失敗したら日米間の絆は完全に壊れてしまう、安保の基盤は無くなる、逆にアジアはもっともっと日本に近づいてくる、これは政権にとって大打撃です。それにとどまらず、私は国民の過半数が憲法に基づいて政治を監視するという社会的基盤ができれば、逆に、憲法が生きる21世紀になっていくのではないかと思います。 以上で終わります。 |