憲法を活かす道  新しい流れに確信を!

「世界社会フォーラム」を考える素材として

2007年1月30日 鈴木 彰(多摩川在住)

●2月28日(水)18時30分〜 あくろす3階で開催する調布「憲法ひろば」第22回例
 では、この1月20〜25日にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」に参加された
  皆
さんからのご報告をいただくことになっています。
●この例会への問題意識を共有する一助たれの思いをこめて、私が2005年9月に記したレ
  ポ
ートの1部をお届けします。

 いま私たちは、60年間にわたって平和と暮らしのよりどころとして機能してきた日本国憲法を「改正」すると言う重大な提起を、こともあろうに憲法遵守の義務をおっている政府からつきつけられています。日本を「戦争する国」にさせてよいのか? 医療・年金・社会保障への国の責任を放棄させてよいのか? 暮らし・民主主義・平和を犠牲にしても企業・産業を発展させるべきなのか? などの問題に、私たちは対応をせまられているわけです。

 もともと私たちが選ぶべき道は「憲法とその9条を守り、暮らしに地域に活かす」という道ですが、現実の政治・経済の中で巨大なちからを発揮している政府・財界の提起に対抗するなど可能なのでしょうか?

 まず最近の世界の流れの中から、そして日本における憲法改悪反対運動の状況から、私たちの「憲法を守り活かす」運動の可能性を探り出してみたいと思います。

 (1)もう一つの世界は可能だ  ハーグからポルトアレグレへ

 198911月のベルリンの壁の崩壊、918月のソビエト連邦の崩壊は、戦後世界で戦争と核兵器保有の口実とされてきた東西対立・「冷戦」構造をも崩壊させたはずでした。ところが、これまで「西側の指導者」を標榜して来たアメリカは、ソ連崩壊後は「世界の指導者」を公然と名乗り、「グローバル化(地球規模化)」の名のもとに、世界中の経済も軍事も、すべてをその支配下に置くことを宣言。一方ではアメリカが主導権を握ってきた世界銀行、国際通貨基金(IMF)、世界貿易機関(WTO)などを通しての各国経済への「構造調整」や「規制緩和」の押し付け、他方では国連をも無視したイラクやアフガン・スーダン、ユーゴなどへの無法な軍事力行使の繰り返しに血道をあげてきました。

 これらは「資本によるグローバル化」が戦争と侵略へ突き進みむ「破壊型グローバル化」であり、生命と地球の持続さえも脅かすことを、事実をもって世界中に明らかにしました。そして、これらがもたらす困難と矛盾の中から、これらを抑制し、これらに対抗する新しいちからが生まれています。それは、平和をもとめ人間と地球をまもる「持続可能なグローバル化」をもとめる参加・連帯・協同の新しい流れを世界中に広げています。そして日本国憲法とその第9条は、この新しい流れのなかで、いよいよ輝きを増しています。


  @ 憲法9条が世界の目標に! ハーグ世界市民会議からミレニアムフォーラムへ


  1999年3月、ユーゴ・コソボ州の人道上の惨禍を防ぐことを名目にアメリカ主導で開始されたNATO(北大西洋条約機構)軍によるユーゴ空爆は、平和の国際ルールをふみにじった干渉戦争の無法ぶりを明らかにしました。4月にNATOは、それまでの「防衛」という建前を捨て、国連にもはからず他国に武力介入するというアメリカ主導の新しい軍事・戦略方針(新戦略概念)を採択しますが、ユーゴ空爆は、その「テストケース」(オルブライト国務長官)として行なわれたもので、アメリカの軍事的覇権主義の横暴にたいしては、国連総会の場やNATO諸国からも批判の声が高まりました。

 同年51115日、オランダ・ハーグのオランダ会議センターに約100カ国から1万人(日本からは400人)の市民社会および政府代表が集まり、「第1回ハーグ国際平和会議(1899年)百周年」を記念する「ハーグ世界平和市民会議(ハーグ平和アピール1999)」を開催しました。会議は400を超えるパネルやワークショップを通して「戦争の廃絶」と「平和の文化の創造」について討議を行ない、「21世紀への平和と正義のための課題」(ハーグアジェンダ)を採択し、同年9月の国連総会に提出しました。

 この「ハーグアジェンダ」と一緒に採択された「公正な世界秩序のための10の基本原則」は、その第1項に「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである」とする「日本国憲法の世界化」の課題を掲げました(資料1参照)

 

 <資料1> 公正な世界秩序のための10の基本原則(1999年「ハーグ世界平和市民会議」で採択)

 ハーグ平和アピール市民社会会議(Hague Appeal for peace Civil SocietyConference, May 11-15, 1999)は、会議を終えるにあたって、会議中の討議をとりまとめる「10の基本原則」を発表した。「公正な世界秩序のための10の基本原則」は以下のとおりである。

 1 各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択すべきである。

 2 すべての国家は、国際司法裁判所の強制管轄権を無条件に認めるべきである。

 3 各国政府は、国際刑事裁判所規程を批准し、対人地雷禁止条約を実施すべきである。

 4 すべての国家は、「新しい外交」を取り入れるべきである。「新しい外交」とは、政府、国際組織、市民社会のパートナーシップである。

 5 世界は人道的な危機の傍観者でいることはできない。しかし、武力に訴えるまえにあらゆる外交的な手段が尽くされるべきであり、仮に武力に訴えるとしても国連の権威のもとでなされるべきである。

 6 核兵器廃絶条約の締結をめざす交渉がただちに開始されるべきである。

 7 小火器の取引は厳しく制限されるべきである。

 8 経済的権利は市民的権利と同じように重視されるべきである。

 9 平和教育は世界のあらゆる学校で必修科目であるべきである。

10 「戦争防止地球行動(Global Action to Prevent War)」の計画が平和な世界秩序の基礎になるべきである。

 

 NATOのユーゴ空爆は6月20日まで続けられましたから、「ハーグ世界平和市民会議」は、コソボ州で現実に行なわれている殺戮を傍観するのか、それをとめるための武力行使はやむを得ないのかなどの厳しい論議も経ましたが、最終的に戦争放棄と戦力不保持・交戦権否の日本国憲法第9条の「世界化」を採択したものです。これが21世紀の世界の平和運動にも、憲法9条を守る日本国民のねがいと運動にも、大きなちからをもたらすものであることは言うまでもありません。

 このハーグ決議は、2000年に行なわれた国連ミレニアムフォーラムに引き継がれ、その「平和、安保及び軍縮テーマ・グループ」最終報告は、ハーグからさらに前進して「すべての国が日本国憲法第9条に述べられる戦争放棄の原則を自国の憲法において採択する」と述べました。

  A 戦争と破壊ではなく平和と協同を!   世界社会フォーラムの発展


 
21世紀に入って、戦争と破壊に突き進む世界の流れを、平和と連帯の方向に転換しようとする新しい模索と探求が、世界のあちらこちらで広がってきています。その中でも際立った活力を見せているのが「世界社会フォーラム」という集まりです。

 「世界社会フォーラム」は、スイスのダヴォスで毎年1月に開く「ダヴォス会議」に対抗する集まりとして2001年以来、同じく毎年1月に開いているものです。

 「ダヴォス会議」は、「1971年にジュネーブ大学クラウス・シュワブ教授(現理事長)の提唱した『欧州経営フォーラム』から始まった。当初のメンバーは欧州経済人のみであったが、市場競争中心の新自由主義を掲げ、サッチャーリズム、レーガノミックス台頭の波に乗って、世界のトップリーダー(筆者注:政・財・官界のエリートたち)が集まる場に発展した。87年に名称を『世界経済フォーラム』に変更、96年からはグローバル化を積極的に推進し、その先導役とみなされるようになった」(加藤哲郎『グローバリゼーションと「もう一つの世界」』)と言う長い歴史を持っています。

 この「ダヴォス会議」が、とりわけ冷戦後に「グローバル化」の名によるアメリカの軍事的覇権主義への加担を強めるもとで、民衆の立場から、平和と民主主義の立場から、グローバリゼーションのもたらす諸問題を考える「対抗フォーラム」の必要が叫ばれ、2001年にブラジルのポルトアレグレ市に世界中から1万6千人が集まって開いたのが第1回「世界社会フォーラム」です。この新しい「フォーラム」は以後毎年、第3回まではポルトアレグレで、04年の第4回はインドのムンバイ(ボンベイ)で、そして05年の第5回はふたたびポルトアレグレで、回を重ねるごとに参加者規模が急速に拡大し、第2回は5万人、第3回は11万人、第4回は12万人、第5回は155千人に達しています。

 いまや世界の新しい流れを象徴する存在となっている「世界社会フォーラム」ですが、その何が世界の期待を集めているのかを、いくつかの切り口から窺ってみましょう。

    <資本による「戦争・侵略・破壊型のグローバル化」に対抗する切実な思い>

 「世界社会フォーラム」は、ブラジルの土地無き農民運動(MST)、フランスのATTAC(多国籍企業の金融取引に税金をかけ市民を援助する協会)など各国のさまざまなNGOが共同してよびかけたものです。

 それは、「グローバル化」の名でますます大規模に強行される戦争と侵略、経済と環境の破壊のもとで生まれている切実な要求と運動を交流し、「資本によるグローバル化」に対抗する、新しい平和で民主的な世界のあり方をめぐっての会合として出発したのですが、第1回フォーラムを開いた直後の2001年9月11日に発生した同時多発テロと、国連を無視してこれへの報復戦争に突入したアメリカ覇権主義の動向は、この「フォーラム」に、いっそう切実な問題意識と発展方向を指し示すことになりました。資本による「戦争・侵略・破壊のグローバル化」の危険があらわになる中で、平和と民主主義をもとめる世界中の人びとも、この「世界社会フォーラム」に参加する人びとも、この危険を封じるためにの「具体的な対抗策と対抗力」を急いで高めなければならないという自覚を高めないわけには行かなかったからです。

 会合は毎回、1週間にわたって行なわれますが、その議題は、経済の自由化、環境と開発、戦争と平和、労働、貧困、食料、差別、民族問題など多岐にわたります。これらの問題にとりくんでいる世界中のNPOや運動体、市民団体、労働団体、農民団体、女性団体などの代表やリーダー・活動家、著名な学者・研究者・知識人などを含むさまざまな国籍や階層の人びとが、現在の問題と望ましい未来について語り合うのです。

    <民衆による「連帯・参加・平和型のグローバル化」への熱いまなざし>

 年々参加者数が急増しているだけではなくて、これまで5年にわたる討議が、議論の主題を「もう一つの世界は可能だ」という建設的で実践的な言葉に収斂させてきていることは注目に値します。この姿勢は「世界社会フォーラム」が、その舞台にブラジルのポルトアレグレを選んだことの中にも貫かれています。「フォーラム」の提唱者たちは、ポルトアレグレが「新しいグローバルな市民社会の始まりの地」として、優れた実践を重ねていることに注目したのです。

 長く続いた軍事独裁政権のもとで深刻な財政破綻、汚職、犯罪に苦しんできたブラジルでは、1980年代から「土地なき農民運動」をはじめとする民主化運動が高まり、2003年1月に「勇気を持って、混乱と軽率を避けて変革を進めよう。すべての国民が三度の食事ができるようにするのが,私に与えられた使命である.この全国的な助け合い運動へ国民を動員する」と語るルーラ・ダシルバ第39代大統領(労働党)を選び出すにいたりますが.ポルトアレグレ市はそれに先駆ける1989年、労働党のオリビオ・デュトラ氏を市長に選び、「参加型民主主義」と「参加型予算システム」を確立する新しい運動を積み上げてきたのでです。「参加型予算システム」とは、利潤追求の市場経済に対抗して、協同組合・共済組合、NGO、労働組合、社会運動など、人間の連帯にもとづく非営利の経済活動と言われています。中でも協同組合運動は活発で、工場や学校、博物館までも協同組合で経営されています(資料2参照)

 

 <資料2> 北沢洋子「世界は地の底から揺れている」岩波『世界』20043月号より

 「参加型予算システムが成功していることは、ポルトアレグレ市を訪れた人には一目瞭然である。まず・・・・乞食が居ない。スラムがない。小さな小路にいたるまで清潔である。夜、女性が町を歩いても安全である。市の人口より多くの樹木が植えられていて大気汚染がない。水道の普及率は99%、下水道は82.9%にのぼっている。国連開発基金(UNDP)の人間開発指数では、ラテンアメリカの中で100万人を超える都市の中で、ポルトアレグレ市は最上位にランクされている」。

 

 こうした参加と協同の実践を視野に入れた議論は、現実社会への大きな影響力も形成しており、最近ではILO事務総長の提案を受けて「世界経済フォーラム」と「世界社会フォーラム」が三者構成の委員会を設置し、労働者のニーズに対応するにはグローバル化はどの形態がベストかを考察する道に踏み出すというところまで前進しています。


     <議論のプロセスに重きをおく新しい模索と探求>

 「世界社会フォーラム」には、14項目の「憲章」というものがあります(資料3参照)

 

 <資料3> 世界社会フォーラム憲章(2001年)

 2001年4月9日にサンパウロで、世界社会フォーラム運営委員会を構成する諸組織によって承認・採択。2001年6月10日に世界社会フォーラム国際委員会によって修正承認。訳文は別処珠樹・安濃一樹による暫定的なもの。2003年1月作成。

 前文 2001年1月25日から30日まで、ポルトアレグレで第一回・世界社会フォーラムが開かれました。計画・運営には、ブラジルの団体で構成する委員会があたりました。委員会では、フォーラムがあげた成果をふまえながら、世界から寄せられた期待にこたえ、憲章を起草する必要があると考えます。ここでいう憲章とは、ポルトアレグレに始まった運動を推進する指針となる原則です。わたしたちの運動に参加し、新しい世界社会フォーラムを作り出そうとする人たちは、これを尊重してくださることと思います。原則のもとになったのは、第一回フォーラムの開催を推しすすめ成功に導いた委員会決議でした。その意図はやがて乗り越えられ、わたしたちの運動は論理の指し示す方向に進むことになるでしょう。

 1、世界社会フォーラムは公開された討議の場です。わたしたちは考えを深め、アイデアを民主的に話し合い、提案をまとめます。経験を自由に交換し、効果的な行動を追求します。ここに参加するのは市民の団体や運動組織です。わたしたちはネオリベラリズムを批判し、資本主義や帝国主義が世界を支配するのに反対します。人間同士が実り多い関係を築き、人間と地球が豊かにつながる地球社会を作り上げるために行動します。

 2、ポルトアレグレの世界社会フォーラムは時間・場所ともに限られた催しでした。これからは、ポルトアレグレで宣言された 「もう一つの世界が可能だ」 という確かな合言葉にもとづいて、もう一つの可能性を追求し実現する永続的な運動になります。この運動は、それを支える会議だけに限定されません。

 3、世界社会フォーラムは全世界で進められます。道のりの一部として開かれるすべての会議は国際的な広がりをもちます。

 4、世界社会フォーラムは、巨大多国籍企業とその利益に奉仕する諸国家・国際機関が推進しているグローバリゼーションに反対し、その代替案を提案します。世界史の新しい段階として、連帯のグローバル化が生まれるでしょう。そうなると、どこの国にいても、どんな環境におかれていても、男女を問わず市民の権利、普遍的な人権が尊重されます。社会正義・平等・市民主権に奉仕する民主的な国際社会の仕組みと国際機関がその基礎となります。

 5、世界社会フォーラムは、世界の国々で活動する市民の団体や運動組織だけが集まり、たがいに連帯するものです。しかし世界の市民社会を代表するものではありません。

 6、世界社会フォーラムの会議が、世界社会フォーラムという団体の利益のために開かれることはありません。ですから、ひとりの人がいずれかのフォーラムの代表者として権威を持つことはなく、参加者全体の意思を代表することはありませんし、投票であれ拍手であれ、参加者が団体として何かを決定することもありません。全員または多数が団体として行動するよう求めたり、フォーラムが団体としての立場を確立するよう宣言・提案したりすることもありません。ですから、フォーラムに権力の中心ができて参加者から異議が出るようなことはなく、参加する団体や運動組織が交流し行動するため、一つの方法だけを定めることはありません。

 7、しかし、フォーラムの会議に参加する団体や団体グループが単独で、または他の参加団体と協力して、会議の中で宣言や活動を決める権利は保証されます。世界社会フォーラムはこうした決議を、利用できる手段を使って、広く回覧することに努めます。これに対して指図したり、指揮系統を問題にしたり、検閲や制限を加えることはありません。あくまで、決定した団体なり団体のグループが審議した結果をそのまま公開します。

 8、世界社会フォーラムは、さまざまな価値や考え方を認め、信条の違いを超え、政府機関や政党とは関係を持ちません。もう一つの世界を打ち立てるために、中央集権にならない方法で、団体や運動組織がたがいに連携し、地域レベルから国際レベルまで具体的に活動をすすめます。

 9、世界社会フォーラムは、多元主義(プルーラリズム)を尊重する開かれたフォーラムでありつづけます。参加を決めた団体や運動組織のあり方も、その活動も多様なものになります。憲章の原則に基づいて、ジェンダーや民族性、文化、世代、身体能力などの違いを受け入れます。政党や軍事組織の代表者は参加することができません。政府指導者や議員が憲章の原則を守ることを誓うなら、個人の資格でフォーラムへ招待されることもあります。

 10、世界社会フォーラムは、経済や発展・歴史を一つの視点から解釈したり何かの原則に還元したりすることに、すべて反対します。国家が、社会を統制するために暴力を使うことにも反対します。わたしたちは人権を尊重し、真の民主主義による実践と参加型の民主主義を支持します。民族間・ジェンダー間の平等と連帯による平和交流を支持します。また一人の人間が支配し、他の人間が従属するという人間関係をすべて排除するよう訴えます。

 11、世界社会フォーラムは議論の場です。深く考察し、その結果をすべて公開する思想運動の場です。資本による支配機構や手段について考えます。支配に抵抗し、それを克服するための方法や活動について考えます。資本主義のグローバリゼーションは人種や性の差別・環境破壊を伴い、人びとを排除し、社会に不平等をもたらしています。わたしたちは、各国内でも国際間でも生まれているこの問題を解決するために、代替案を作り上げます。

 12、世界社会フォーラムは経験を交換する枠組みです。わたしたちは参加団体や運動組織が互いに理解・認識を深めるよう奨励します。人びとの必要を満たし自然を尊ぶ経済と政治の活動を中心として、社会を築いてゆきます。わたしたちは、現在のためにもこれからの世代のためにも、こうした経験の交換が特に重要であると考えます。

 13、世界社会フォーラムは連帯を生み出すための仕組みです。わたしたちは団体や運動組織の結びつきを、国内でも国際間でも強化したり、新しく作り出したりします。この連帯がわたしたちに力を与えます。世界中の人々が耐え忍んでいる非人間化の過程や国家が使う暴力に対して、公共の場でも私生活の場でも非暴力の抵抗をつづける力が高まるでしょう。また、団体や運動組織が人間らしさを取りもどすためにする活動をより強いものにするでしょう。

 14、世界社会フォーラムは一つの過程です。わたしたちは、参加する団体や運動組織の活動が、地域レベルから国家レベルへ、さらに国際レベルへとすすみ、地球市民として問題と取り組んでゆくことを奨励します。変革を目指す実践活動がいま試みられています。わたしたちは、こうした運動を全世界の人々の課題へと導き、連帯して新しい世界を築きます。

 

 アメリカの覇権主義にもとづく「グローバル化」を世界から孤立させ、「もう一つの世界」への模索と探求を深めると言う、雄大なテーマを実現する「政策とちから」をつくりあげるプロセスには容易ならぬものがあります。「こうした運動を全世界の人びとの課題へと導き、連帯して新しい世界を築き」あげるために、「憲章」は実に細やかな配慮を会合と参加者に求めています。

 「憲章」はまず、「わたしたちはネオリベラリズムを批判し、資本主義や帝国主義が世界を支配するのに反対します」「巨大多国籍企業とその利益に奉仕する諸国家・国際機関が推進しているグローバリゼーションに反対し、その代替案を提案します」とフォーラムの目的を明らかにし、参加者の決意を促します。

 そして「憲章」は、この目的を実現する広範なちからをつくるために、「ジェンダーや民族性、文化、世代、身体能力などの違いを受け入れます」、「政党や軍事組織の代表者は参加することができません」、「世界中の人々が耐え忍んでいる非人間化の過程や国家が使う暴力に対して、公共の場でも私生活の場でも非暴力の抵抗をつづける力が高まるでしょう」など、これまでの労働組合・民主運動が培ってきた、@一致点での団結、A資本からの独立、B政党からの独立などの原則を踏まえた提起をしています

 さらに「憲章」は、「中央集権にならない方法で、団体や運動組織が互いに連携し、地域レベルから国際レベルまで具体的に活動をすすめ」る。そのために「ひとりの人がいずれかのフォーラムの代表者として権威を持つこと」「参加者全体の意思を代表すること」「投票であれ拍手であれ参加者が団体として何かを決定すること」「全員または多数が団体として行動するよう求めたりフォーラムが団体としての立場を確立するよう宣言・提案したりすること」などを戒めています。これらには、これまでの社会的な運動が厳しい情勢のもとでしばしば分断され、分裂または分立を余儀なくされて、目的を達成できずにきたことにたいする強い「問い直し」が込められていると思われます。性急に結論をもとめず圧倒的な多数を形成しようとするこの新しい運動はいま着実に前進しています。

   B 世界から何を学ぶか?   日本国憲法を21世紀に活かすために

 いま憲法とその第9条を21世紀に活かすために、国民の圧倒的多数を結集する世論形成と運動の展開が求められていますが、「ハーグ世界平和市民会議」から「世界社会フォーラム」へ、前進しつつある世界の運動の流れには、多くの研究者の方も期待を寄せています(資料4参照)。これらの運動からも大いに学びながら、新しい運動を切り開きたいものです。

 

 <資料4> 世界社会フォーラムに寄せる研究者の期待

 憲法再生フォーラム編「改憲は必要か」岩波新書所収の北沢洋子論文より

 「シアトル以来、ポルトアレグレの世界社会フォーラムにいたる反グローバリゼーションの運動は、世界中から何十万人もの人が集まりました。これは、多様性を尊重し、議論と言うプロセスに重点を置くという、新しい運動の形態が確立したからです。これまでの運動は、まず指導部を決め、統一した決議を採択することにエネルギーを費やし、その結果、離合集散を繰り返してきました。収斂するよりも分裂することが多かったように思います。・・・・護憲運動が学ぶべき点でしょう」

 的場昭弘「マルクスだったらこう考える」光文社新書より

 「この運動(世界社会フォーラムなど)は『新しい選択としてのグローバリゼーション』と銘打っています・だから決して反グローバリゼーション的なものではありません。むしろ資本によるグローバリゼーションに抵抗する・・・・新しいグローバリゼーションを選択する運動です。・・・・そのフォーラムの様子はダヴォス会議のものとはまったく異なるものでした。ダヴォス会議は、厳重な警戒の下、少数のエリートたちによって行なわれます。しかも上位下達式に命令が下っていくことで会議が進行していきます。一方、世界社会フォーラムは、さまざまな組織がそれぞれの組織を紹介する形で進行します。そこで何かが決められたり、誰かが誰かに命令されたりするということはありません。・・・・他者を排除しないということが、この運動の最大の課題です。とすれば、グローバリゼーションに真っ向から反対することは、この場合得策ではありません。・・・・資本によるグローバリゼーションの中で行なわれる運動においては、その主体はかならずしも労働者ではありません。たとえば学生であったり、主婦であったり、移民であったりします。・・・・組織もかつての・・ような・・・・垂直的、統括的なものではありません。集まっては消え、また集まるといった、そうした緩やかなつながりをもった組織でしょう」。

 (2)憲法9条、いまこそ旬

 「解釈改憲」の積み重ねのうえでの「明文改憲」の策動が、わが国の戦後史をかつてなく本格的に逆流させようとしているいま、これを食い止めようとする内外世論もまた、かつてない高まりを見せています。この対決は、戦後営々と築いてきた平和と民主主義、国民経済を、既成事実にゆだねて灰燼に帰すのか、それともこれを乗り越えて、ゆるぎない平和と民主主義、21世紀に持続することの可能な経済・社会を築き上げるチャンスとするのかをめぐる、まさに「戦後史をかけた対決」です。

   @ 「九条の会」の発足と内外世論の脈動


  内外の平和・民主の流れと結んで、露骨な改憲策動にたいする新しい反撃の流れが生まれています。

 「私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、9条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、『改憲』のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます」

 これは2004610日に井上 ひさし(作家)、梅原猛(哲学者)、大江健三郎(作家)、奥平康弘(憲法研究者)、小田実(作家)、加藤周一(評論家)、澤地久枝(作家)、鶴見俊輔(哲学者)、三木睦子(国連婦人会)の9氏が発した「9条の会」アピール(資料5参照)の締めくくりの一節です。

 

 <資料5> 「九条の会」アピール(2004年6月10日)

 日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。

 ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。

 侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。

 しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。
 アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。一九九〇年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。

 二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。

 憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。

 私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。

 

 「平和を求める世界の市民」の奮闘はすでに見てきたところですが、これに呼応して「あらためて憲法9条を激動する世界に輝かせたい」という9氏の願いは、国の内外で大きな反響を呼び起こし、全国の地域と分野に、それぞれの条件を活かす運動づくりがひろがりました。去る4月22日、発足1周年を控えて記者会見をした「9条の会」は、1年足らずの間に、全国9会場で開いた講演会に延べ27,400人の人びとが参加し、アピールに賛同する多様な組織が1280の地域・分野で活動するにいたっている(その後5月中に2000を超えました)ことを発表しました。

 発足の当初から9氏は、「9条の会」を単なるセンターと位置づけることを否定し、この国の主権者である国民一人ひとりが、センターに参加・結集するという従来のかたちではなく、より主体的に、それぞれの条件を生かして圧倒的な人びととの対話と共同をひろげ、国民一人ひとりが「9条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していく」ことこそがたいせつだと訴えてきました。

 いま、「9条の会」アピールに応える運動は、ハーグからポルトアレグレへの道のりを通して世界中の人びとが模索している「もうひとつの世界」をになう運動として確実に歩き始めています。この運動はいま、センターや指導部を性急にもとめるよりも、多様な人びとが対話を広げ、共通する要求・課題を見出し、一致点にもとづいて共同を広げることを大切にする運動として、新しいひろがりをつくっています。

   A 憲法を活かすことが改憲阻止の決め手


  平和と民主主義、国民経済をめぐる「戦後史をかけた対決」のもとで、激しい改憲策動にも触発され、日本国憲法第9条を内外に活かそうという世論が、かつてなく大きくひろがっているわけですが、私たちはこれを、文字通りの「国民過半数」の世論に発展させ、仮に改憲の国民投票が強行されても、圧倒的多数の力で改憲を許さない力に発展させる必要があります。

 このような大きな力を持つ世論を形成するうえで重要なことは、世論を成り行きにゆだねることなく、世論の軸として、私たちの持つ「多様な社会的な力」を積極的に育てることではないでしょうか。「多様な社会的な力」というのは、この社会の発展・変化の中で蓄積してきた力のことです。それは、1人ひとりの私たちがその暮らしと人生を通して求めてきた切実な要求の力、生協や労働組合、市民運動や反戦平和運動、経済社会の民主的改革をもとめる政党をはじめとする各種の運動などなどを通して築きあげてきた社会的な力などによって構成されるものです。日本国憲法のもとで、これを暮らしに地域に活かすために奮闘してきたこれらの力を、それぞれの分野からいっそう大きくすることによってこそ、改憲阻止の世論を支え、大きく育てる保障が生まれるにちがいありません。