|
|
記録:高部優子さん |
今日お招きありがとうございました。私は大学で長い間、講義をしてきましたが、その間楽しい経験やいい思い出はありませんでした。それは壁に向かって話しているようでしたからです。今日はそうならないように願っております(笑)。みなさんがたが理解していただき質問してくださればありがたいと思います。 最初に自己紹介をさせていただきます。私はスイスからやってきたスイス人です。スイスは非常に小さい国で、ヨーロッパの中心部にあります。スイスの首都のベルンで生まれ、今、住んでいるのはジュネーブです。ジュネーブはどちらかというと国際都市です。というのは、20以上の国際組織があります。例えば国連ですとか、世界保健機構、世界労働機構などがあります。私は言語を勉強しまして、室内装飾など建築を勉強し、最終的には政治にきました。政治といっても、私の場合は人権や人々の公民権的なものを主張するものです。私はネイルバッソという人と一緒に仕事をするようになったのですが、今、笹本さんがお話にあったように、ベトナム戦争の時代に始まります。ネイルバッソは、「人民の権利と解放をめざす国際同盟(LIDLIP)」というNGOをたちあげました。そしてこの組織は国連の中の社会経済理事会の協議機関という地位を獲得しました。そういう地位を得ることによって国連の会議に対して色々意見を述べることができるような組織になりました。これまで27年間そうやって活動してまいりました。私がこの間やってきたことは人々の権利を主張することで、それは個々の人々の権利というより集団的な人民の権利を主張するものでした。ご承知のように国連というのは政府間の組織です。ですから、国連に参加できるのは国家だけです。一般の人々が国連に関わろうとすれば、直接国連に行くことはできないので、NGOに参加するということになります。ですからそのようなNGOの資格を得ることによって、そこを通じて、国連に対して色々意見を述べたりインプットすることをやってきました。 私の組織であるLIDLIPは色々な組織から要請を受けて活動してきました。例えば、今、私たちはアジアにいますが、アジアの問題から始まりました。私たちが長年やってきたのはスリランカのタミール人の権利を擁護、主張することでした。タミール人というのは同じシンハリの民族なのですが、そこからきている別の人々です。残念ながらこの紛争について詳しくお話することはできませんが、確かなことはタミール人が30年以上の間、シンハリ人によって抑圧されてきた事実であります。タミール人は抑圧に対して長い間、武力を使わないで平和的に抵抗をしてきました。よく新聞でタミール人を報道するときは“テロリスト”として描かれることが多いのですが、しかし実際のスリランカの内戦は、スリランカの政府軍とタミール解放組織です。日本でも、“タミール人はテロリスト”という報道がされています。私たちLIDLIPという組織は、国連でタミール人の権利を主張するという活動をやってきています。タミール人自身がが国連で発言することができないので、私たちが代わりにやっています。ところが実際に色々な新聞などで報道されるのは、タミール人サイドからではなく、国家側からの報道のみです。 私たちは、いつもアジアでそういう人たちと外交面で行動を共にするということをやっています。他には東チモールの問題です。ご承知のように東チモールは独立国になりました。ノーベル賞を受賞して首相にもなったラモス・ホルタという人は私の友人でもあります。私たちが、東チモール人民がインドネシアの抑圧と侵略と戦っていたときに、東チモール人民を支持して発言していたからです。 また、他にも、アチェ、インドネシアのマロクという地域などがあります。国連の代表が私たちのところへ来て話しをしています。 それからフィリピンの問題の中のモロ解放戦線についても発言をしてきました。フリピンでは独裁政権が終わって新しい政権に変わっていますが、フィリピンではまだ人権抑圧が続いているので、私たちは27年たって再びフィリピンの問題に関わっています。 また、インドのナガス、バングラディッシュのチタゴン、フィリピンのネグロス島、アエタスの先住民の権利の問題でも活動し、津波の大きな被害を受けたフィリピンのアンダマンという島やアフリカの数ヶ所にも関わっています。 先住民の問題では、コンゴ共和国のバトゥアの問題、南アフリカのカラハリ砂漠のサンという少数民族の問題、被植民地化の問題でもある独立しているヒサーラを実際には西サハラが支配している大きな問題の中で進められている解放運動などがあります。西サハラは国家のとして認められていますが、しかし、国際的には国家として認められていないので、西サハラの解放運動の人々が国連にいったときには直接国連に働きかけることはできないので、私たちのNGOを通して働きかけています。 また、エリトリアを代表して発言できるのは3つのNGOしかありません。私たちは抑圧されているエリトリアの人々を代表して国連の人権委員会で発言するのですが、抑圧する側のエチオピアが「盗賊の代表」と私たちの悪口をいいます。現在、エリトリアは国連で独立国として承認されるようになりました。 ラテンアメリカをみると、多くの国が独裁政権でした。私たちはほとんど全てのラテンアメリカの国々を代表して発言しなければなりませんでした。たとえば、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル、エルサルバドル、グァテマラといったような国々は全て独裁政権でした。チリのピノチェト独裁政権の頃、多くの人が捕らえられ拷問を受けていましたが、その人たちのために私たちが代わりに発言していました。しかしピノ政権は非常に強大で、なかなか結果を出すことができませんでした。何年かして、政治囚として捕まっていた人が逃れてヨーロッパに来て、その人から話を聞くことができ、はじめて実態がわかったのですが、その時に、拷問を受けたり抑圧された人々について私たちのようなNGOが発言してきた活動のおかげで解放されたと感謝を述べていました。 エリトリアの場合でも同じように、もし私たちが国連で5分でも話しをしなかったらいい結果がでなかったと思います。あの当時、私は以前にエリトリア解放戦線で戦っていた人たちに話をする機会がありました。そのとき、彼らは、「戦いに無線ラジオを持っていたので、国連でベレーナ・グラフが私たちのことを発言しているのをラジオで聞いた。私たちに連帯の力、勇気を与えてくれた」と言っていました。 ラテンアメリカの話しに戻りますが、ラテンアメリカの独裁政権だったほとんどは、何も罰せられずにいます。ですから多くの独裁政権のもとで拷問を受けたり、行方不明になったりしましたが、独裁政権が倒れて民主化されたあと、罰せられることなく彼らは去って行きました。本当は、罪を侵した独裁政権の人々はそれなりの裁判を受けるとか、法に従って処罰を受けなければなりません。 現在、コロンビアの問題も活動していますが、社会的な紛争が国内で起こっています。一部の権力を持った勢力が支配していて、多くの貧しい人々の中で解放運動が起こってきました。報道では麻薬のみしか報道されていません。 また、メキシコのサパティスタ解放運動と連帯しています。そこでも主要な問題は、一部の金持ちと貧しい人々の対立です。 北アメリカのカナダやアメリカ合衆国の先住民、オーストラリアのマオリ族やアボリジニー問題にも関わっています。私たちは世界中の先住民の権利を支持して、彼らを代表して発言しています。ニューカレドニア、タヒチ。それからヨーロッパのコソボ問題。私はコソボで武力紛争が起こる前にオブザーバーとしてコソボにいったことがあります。そこではセルビア人が大きな勢力をもってコソボを支配し抑圧していました。アルバニア系の住民がいる学校と工場とかに毒をまいていました。私たちは毒物を使用しているということ証拠をつきとめることもできました。私たちの代表団は証拠を持って警察に持って行ったところ国外退去を命じられました。コソボについて付け加えますが、コソボの紛争は、アルバニア系の住民とセルビア系の住民の対立ですが、アメリカが介入しコソボを支援するというかたちを取りました。それはコソボが被抑圧民族だからではなく、アメリカがコソボにベトナムに作ったものよりもっと大きな米軍基地を作ったのです。アメリカはそこを支配したかったのです。ご承知のように、コソボは独立の形になりました。それは独立ですが、アメリカの導きによって独立したということであります。 もう1つ申し上げておきたいのは、スペインのバスク地方の問題です。非常に痛々しい問題です。バスク人はヨーロッパでも古い民族ですが、スペインにありながらスペインとは言葉も違った全く違う文化を持っています。確かに、バスク人は非常にひどい暴力行為をしますが、それでスペイン当局が民主的に選んだ人までも投獄してしまいました。もちろん私たちは暴力を支持することはできません。しかし発言する権利、そして自決の権利については、私たちは発言していかなければならない。スペインからの独立をするとかしないとかいう話しではなく、自分たちで決める権利を尊重すると言っているのです。 それからイラク、イラン、トルコにまたがる、クルド人の問題があります。イラクのクルド人は自治権を持っています。トルコではクルド人が抑圧されています。 またパレスチナの問題があります。これは色々ありますからここで詳しくお話することができませんが、宗教の問題ではありません。水と土地の問題なのです。今、パレスチナ人が住んでいるところは自分たちの土地でありながら、まるで監獄にいれられた状態で暮らしています。そういう状態でありながら、世界は見つめているだけで何も行動していない。 このほかにも色々ありますが、私はそういうふうにして人民の利益のために発言をすることが多いのですが、そのためにトラブルも色々ありました。私たちはそういう中で、若者が外交的に活動できるように養成ををしています。外交といっても、政府の外交ではなく民間の外交です。政府の外交官はネクタイをつけていますが、私たち民間の外交官はバスケットシューズをはいているように機動力がある外交官です。これは民間と政府を明確にわける、ということを言っているのです。 この27年間の私たちの活動の間に、日本の人権活動グループとの交流がありました。私たちはそのグループを支持し、国連の活動を援助してきました。例えば、私たちは在日米軍基地に反対するということでも発言し、それから笹本さんがさきほどおっしゃいましたが、グローバルキャンペーンに参加して、ここに新聞がありますが、新聞に武力の行使を禁止した日本の9条を支持するという主旨の内容を出しました。ジュネーブで唯一の独立系新聞クーリエに意見広告を出しました。これに載せるために政治家や色々な人の署名をいただきました。これは非常に長い活動でした。最近は、9条世界会議に私たちが参加することについて、4月18日に記者会見を行いました。 昨日新聞記事でしりましたが、名古屋の高等裁判所の判決が1つの希望だと思います。日本のイラクに対する軍事的な支援に対する判決だったと思いますが、非常によかったと思います。それでは質問を。 質問(三宅さん):独裁政権を裁くこと。グローバル化の中で国が障害になっている、どういう形で取り組んでいったらいいか、その1つが世界会議だとは思うが、グラフさんはどう考えるか。 G: 独裁政権を裁判にかけるということは、それは国際刑事裁判所でありうると思いますが、スペインのピノチェトの場合、最終的には国内の裁判所で裁くということになったのですが、これから出てくる、民主主義というところでどういうふうにするのかという問題になると思います。しかし、もう1つ危険だと思うことは、この司法というのは必ずしも独立したものとは限らないということです。本当の意味で罰するということではなく、守ってあげてしまうということになりかねない。その場合、最も重要なことは民間社会が圧力をかけるということだと思います。一般の民間の運動が立ち上がって圧力をかけるということが重要だと思います。日本についても同じように期待しています。例えば9条の問題でも、日本でも外国から支援を受けるのが大事だと思います。最近、私が書いた文章から引用します。“国際的に変化を求めて、変化を勝ち取ろうという人々は、日本の憲法9条をなくそうという動きに対して、それに反対するとうことが非常に重要であります。9条世界会議に世界中から色々な人がやってきて、9条を守ろうという声を雪だるまのように大きくしていくことが重要だと思います。” 質問(?女性):非常に明るい希望を伺いました。正直、今、世界会議について日本でマスメディアは全くふれていません。大きな新聞社のうち、1社か2社ぐらい少しふれたのみです。たくさんの人権活動団体もあって情報をもらっています。しかし日本社会では非常に知られていない。調布市まできてくださったことは大変ありがたい。4/18の記者会見はどのような様子でしたか? G: 日本のプレスについては、岡田さん(通訳)からいってもらったほうがいいと思います。考えてみますと、メキシコのサパティスタの場合でも一般の報道機関は全く報道しませんでした。サパティスタ自体も電子機器をもって世界に知らせる手段を持っていませんでした。しかし、世界で話題になりました。もし新聞がやらなければあなた方自身がインターネットを利用して知らせることもできるのではないでしょうか。これは私からの提案、希望です。 質問(笹本氏):地球の裏側から見て、憲法9条が変えられようとしているのをどう見るか、国際人権活動をしている中で、9条をどうみるかということを詳しく話してください。 G: 憲法9条改悪の動きは勿論知っていますが、同時に名古屋の判決をみると希望を持てると感じています。裁判所は、もちろん左翼でもありません。そういう裁判所がイラクへの軍事的支援というのは日本の憲法に反するといったわけですから、これは重要な一歩だと思います。この国で6000以上のグループが活動しているという事実もあります。これもやはり積極的な面だと思います。日本の国会の力関係が変わったこともあるでしょう。今、そういう変化が起こりつつあるということで希望を持ちたいと思います。そういう意味では左翼の側がどうこうというだけではなく、裁判所や国会の力関係もかわってくると言うのは積極面で期待をしたいです。私たちはまだ勝利をおさめたわけではないですが、少しずつ運動が大きくなってきていると思います。 質問(津田さん):ベレーナさんは言語やインテリアの仕事から始められたと聞きましたが、第二次世界大戦が終わったあとは、僕は6歳でしたが、日本国憲法よりスイスは唯一戦争をしない国ということを教えられて来ました。ベレーナさんは武器を持たないウィリアムテルかな、と思いました。そういう土壌との関係で、今日のベレーナさんがあるのか。またどのあたりで日本の憲法という問題に関わったのか。 G: 私はスイスの風土が私に革新を持たせたということではなく、ブラジルにいったとき貧しい人をみたとき、また不正を目の当たりにして、そういう人たちのために活動するべきだと気づきました。社会風土的な紛争というものは、貧しいものと富んでいる人の矛盾によると気づいたからです。それからヨーロッパに帰りLIDLIPの創始者に会いまして、そういうふうにして私が目覚めていきました。スイスは永世中立ということで、1つのモデルと言われますが、しかし、この前開いた記者会見でかかげた表題は「日本国憲法が世界のモデルである」でした。スイスは中立という伝統はあります。9条世界会議でギ・メタンという記者クラブの責任者がスイスの中立について、反戦、平和主義について発言をする予定です。私がスイス人であることは、単に経済的に貧しい人々のために活動しているのではなく、権利の面でも貧しい、あるいは抑圧されていることについてその問題に取り組めるということです。 質問(奥平さん):はるばると遠いジュネーブから9条世界会議のためにおこしになり、ありがとうございました。9条の意見広告も出してくださり大変感謝しています。 G: ありがとうございます。今おっしゃったことは全て同意します。私も論文の中で書いていますが、日本は世界の平和のモデルにならなければならないと思います。コスタリカのアリアス大統領がノーベル平和賞をもらいましたが、平和憲法をきちんと守っていけば、日本もその次のノーベル平和賞をもらえるのではないでしょうか。 質問(女性?):現実の国連は大国の意志によって運営されているので、なかなか解決できないのでは、と思います。私たちが声を上げ続けることが唯一問題を解決する方法なのでしょうか。国家間の紛争はアメリカが介入しない限り少なくなりましたが、発展途上国では大国が武器を権力者に売りつけて老人や子どもがころされていくのはどのように解決していくべきなのでしょうか。 G: どういうふうにしてということになりますと、私自身解決策はわかりません。しかし、私の経験からしますと、歴史の本を読むなどしますと、戦争は絶対に紛争の解決にならない。戦争が終わってテーブルに集まって一致点をみつけて解決する。もしテーブルにつけるなら、戦争を起こす前にテーブルにつけばいい。戦争は1つのビジネスになっていて、兵器を売ることで儲けている、戦争をやりたい、やりたいという好戦勢力がいる。ですから、私自身、今おっしゃったことの解決策はわかりませんが、先ほど申し上げたように市民社会がもっと圧力をかけたり、カリスマ的な人がいたり、著名な人や、芸術家が発言するということも大事だと思う。忘れないでいただきたいのは、戦争はビジネスであるということです。 質問(?女性):ミャンマーに対しては活動していますか? G: 以前ドイツに亡命政府のようなものがあったことがありますが、私は現在のミャンマーの状況はよくわかりません。みなさんは同じアジア人ですからみなさんの方がわかっているでしょう。私が思うのは、僧侶が何かやっているというだけではなく、外からの干渉があるのでしょう。政府は憲法を変えるといっていますが、民主主義的なもの・・・(聞きとれず) 質問(石川さん):スイスで女性参政権ができたという報道を1971年を聞きました。イラクやイラン、日本よりも遅く、ヨーロッパの国では遅かったのですがなぜか、女性は戦ったのか。 G: もちろん、スイスは革新的な国ではあるのですが、遅れたところがあります。日本もそうですが山がたくさんあって・・・(笑)。確かに戦いがありましたが、強力な戦いではありませんでした。今は改善されまして、社会党から出た女性の大統領もいますし、女性も地位も得られましたが、どちらかというと閉鎖的で右翼的なところがあります。一番力が強いのは右翼の党ですが、スイス連邦の政府は閣僚が7人ですが、その中の1人に右翼の責任者が入りました。反対運動がおこり、人々が圧力をかけて、議会を通じてやめさせました。開かれた国ではなく、非常に閉鎖的です。ボーダレスではない国です。もちろん世界会議でスイスのもう1つの面を見ていただくことになります。スイスが守り続けてきたものを守っていきたいというのがとても強い国で、世界に開かれたことができない国なのです。 質問(笹本氏):軍隊廃絶しようという国民投票が20%から30%とったとききましたが、スイスの方は軍隊に関してどう思っていますか? G: それも今の右翼政党の関連でもありますが、国民投票で33%が軍隊廃止に賛成ということでしたが、私自身誇りを感じています。しかし、まだ実際に投票しなかった人もたくさんいますから、国民の中で実際どのぐらいそれが支持を得ているかわかりません。選挙は投票率が30〜40%ぐらいしかありません。スイス人は自分の生活に心配があるわけではありませんので、投票につながることがないのです。33%ちょっと上回るぐらいが軍隊廃止に賛成ということでしたが、同じグループがもう1度国民投票をしようとしています。それは、兵器の製造、輸出に反対するという投票です。これを成功させるためには、非常に大きな努力が必要です。たくさんの人々はまだ軍隊が存在することに対して賛成をしています。スイスは非常に小さい国ですから、武器なんて持っていても仕方ないということがありますし、武器を売らなくてもお金はたくさんあるのだ、スイスに攻撃しようとするのであれば、武器ではなくお金、金融や経済的に攻撃をしかけることがあるとは思うが、武器を持って攻撃を仕掛けるということははありえない。 質問(男性):日本で情報をえようとすると、新聞やTVなので、本当の情報は得られない。グラフさんには特別なニュースソースがあるのですか? G: 私たちは新聞を頼るのではなく、直接コンタクトをとっています。例えばどこかから代表がジュネーブに来て話を聞いています。国連で話をするにはそれなりの信頼性がある必要があるので、直接話を聞いています。 質問(津田さん):自決の権利を発言し続けていくことは、私たちにとってもあてはまるのではないかと思う。中国でのチベット問題、自由な発想の人が抑圧されているが、タイミングを大事にされたり、将来向き合ったり接点を持つ方針はありますか? G: 私たちはチベットについては何年も前から取り組んでいます。依頼をうけて行きました。さっきもいいましたが、人々の権利を守ろうとするとその国の政府と対立します。数年ごとに国連に私たちの活動を報告しなければなりません。例えばモロッコを調査して国連に報告しますが、そうするとモロッコ側が王様を侮辱したと国連に報告します。それに対して申し立てが合った場合、ニューヨークに言って、裁判所ではないのですが、国連の場で報告しなければなりません。しかしその場にモロッコはきませんでした。しかし中国の場合はきました。私たちがその場でチベット問題について発言しますが、中国側は1つ1つについて細かく質問してきます。私たちは1つ1つについて説明しなければなりません。自決というのは、チベットを独立させろとか分離させることを言っているわけではなく、どうするかということをチベットに決めさせなさいと言っています。例えばスイスのように連邦政府にするとかロシアのようにフェデレーションにするとか、ですから必ずしも独立という形ではなくても、自決の権利を認めるべきだということを私たちが主張しています。中国側はわかったかどうかわかりませんが、LIDLIPと3時間も話し合いました。最終的に中国はLIDLIPとだけ話し合いましょう、と言うのです。こんな小さいLIDLIPと大国の中国が話し合うのは・・・。お断りしました。夜の9時ぐらいまで話し合い、会議が終わってから、中国の人が私のところにきて、「あなたが言ったことを取り消しなさい、そうでなければ制裁します」と言うのです。制裁というのはNGOの地位を剥奪するということです。しかし発言したことを撤回することはできません。「あなたたちは非常に大きな国で、私たちは非常に貧しい小さい団体です」といいましたが、そんなことをやってもチベットに何のためにもなりません。翌朝、これは大変だと思い、「1つのNGOが口を封じられた」というプレスリリースを用意していました。ジャーナリストを集めて、中身は言わず、「ニュースになるようなことがあります」と伝えました。北京会議の数ヶ月前のことでした。コスタリカやロシアなど色々な国がきて中国に話をしました。キューバは中国といい関係にあります。キューバは「LIDLIPは非常にいいNGOなのだ」と中国に言ってくれました。次の会議のときに、中国が「LIDLIPの言っていることがわかってきた。もう少し様子をみて必要なら措置を講じる」といいました。 |
『マスコミ・文化九条の会 所沢』の会報、『九条守って世界に平和』33号(2008年3月27日発行)から転載 | ||
大手マスコミと「九条の会」運動の課題 改憲阻止の戦いは地方、地域が焦点に 丸山重威 |
||
日本中に「九条の会」が広がって、昨年十一月現在で全国に六八〇一組織。「九条署名が住民の半数を超えた」(高知県土佐清水市)とか「北海道の署名が一〇〇万人を超えた」というニュースが流れているが、これらのニュース、少なくともあとの二つについては、朝・毎・読・産経、日経などの大手紙・全国版では掲載されていない。 「九条の会」の高まりは、小泉政権の後を受けた安倍政権が「私の任期中に改憲」などとぶちあげ、さすがに危機感が高まったためだった。だが、福田政権になって、今度は岸信介元首相らが会長を務めた「自主憲法期成議員同盟」が衣替えし、「新憲法制定議員連盟」となって、中曽根元首相を会長に、民主党の前原誠司前代表が副会長、鳩山由紀夫幹事長が顧問に就任して、「草の根の闘い」を進めようという雰囲気で動き出した。 三月四日の総会には、憲法九九条違反だと思うのだが、四閣僚が参加、町村官房長官は「内閣を代表して出てこいというご命令をいただき、これは天の声だとして喜んで参加した」と挨拶。議員同盟の愛知和男幹事長は「『九条の会』と称する勢力が全国に組織作りをしている。こちらも地方に拠点を作っていかなければならない」と述べたという。昨年、憲法記念日に右翼が騒いでいたが、それと同様、結構、改憲派は焦っている。 私は共同通信の記者だったころ、「草の根右傾化を告発する」という原稿を「マスコミ市民」一九八一年二月号にペンネームで書いた。自主憲法期成議員連盟の別働隊「自主憲法制定国民会議」が地域に組織を作って、全国で「自主憲法制定の議会決議を進めよう」というのが方針で、決議のひな形が全国に流された。さすがに大きくは広がらなかったが、一緒に進められた「スパイ防止法制定決議」や「靖国神社に公式参拝を求める決議」などは、かなりな広がりを見せ、右派勢力の結集に役立った。その「議員同盟」である。 いま、九条の会の広がりを見て思うのは、憲法の運動も、結局、地方、あるいは地域での闘いが焦点になってくるのだろう、ということだ。 ▼地方紙にある「住民の目線」からの報道姿勢 ▼「憲法タブー」を許すな ▼攻撃には敏感に反応を |
||
|
「神奈川新聞」2007年9月16日付・文化欄から転載 |
「9・18を忘れるな」 |
「三日前、日本の高校の先生を案内しました。その先生たち、『満州はどこ?』と聞くんです。がっかりしました」―。 |