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旧・みんなのレポート

「あの日の授業−新しい憲法のはなし」 笠木透さんの作品に寄せて   09年3月  丸山重威

高部優子さん、笹本潤さんの「コスタリカ通信」(2009年1月26日の最終通信まで)
そう、私たちもできるんだ! 「改憲問題」の現状と課題
−調布「憲法ひろば」4周年記念集会への問題提起に代えて−

      2008年12月13日             丸山 重威(東つつじヶ丘)

9条は廃止ではなく世界にひろめるべき ベレーナ・グラフさん(スイス)を囲んで   4月29日の記録

『九条』を持つ地球憲章を! −新しい年に思うこと−               08年1月  堀尾輝久

大手マスコミと「九条の会」運動の課題 改憲阻止の戦いは地方、地域が焦点に 08年3月 丸山重威
漫画:鈴木彰の「担ぐまい!大連立の大御輿」
蹴りつけられたボールは蹴り返せ  私はなぜ「九条の会」に参加したか
    2007年10月27日      「九条の会」呼びかけ人、東京大学名誉教授、調布市在住  奥平 康弘
9・18を忘れるな」 いま中国が訴えていること   (2007年9月16日)      丸山 重威
「憲法で考える」大切さ 「日本の青空」後援問題  (2007年6月30日)      丸山 重威
「ルポ日本」=「憲法60年」−日比谷の風景    (2007年5月3日)        丸山 重威
  附「2007年5・3集会」でのスピーチ要旨

自分(たち)の言葉で<平和>を語り広げる                   T.R
憲法を活かす道 新しい流れに確信を!「世界社会フォーラム」を考える素材として   鈴木 彰
<06・11・16集会の台本公開>  社会保障つぶしは9条改憲の条件づくり  鈴木家寝坊助   
みんなの声響かせて 2006年12月3日 調布「憲法ひろば」誕生から1年 台本特別公開
第16回調布「憲法ひろば」7月例会に寄せられた「感想・ひと言」 
「改憲ムード」をはねのけよう 「客観報道主義」と「もっともらしい主張」を排す     丸山 重威
「生きる形」を変える憲法・教育基本法の改正                          竹内 常一
国民投票法案のねらい  2006年1月22日 第11回「憲法ひろば」での笹本 潤さん(弁護士)の発題
12・3調布「憲法ひろば」誕生から1年のつどい 32人の「私もひと言」
「九条の会・有明講演会」に9500人の熱気  だが、冷淡な大手マスコミの扱いに落胆   池田 龍夫
調布「憲法ひろば」夏期合宿・講演(2005年8月20日)
地域のすみずみから改憲反対の声を       「九条の会」事務局  川村俊夫
子どもの中の暴力と平和  ――学級崩壊から憲法・教育基本法へ――            竹内 常一
「第九条幣原発案説」を考えよう ポイントは「戦力不保持」                丸山 重威
調布「憲法ひろば」第1回例会・講演2005年2月13日 )
改憲問題をめぐる最新の状況と全国の動き       「九条の会」事務局  高田 健


 記録:高部優子さん

 今日お招きありがとうございました。私は大学で長い間、講義をしてきましたが、その間楽しい経験やいい思い出はありませんでした。それは壁に向かって話しているようでしたからです。今日はそうならないように願っております(笑)。みなさんがたが理解していただき質問してくださればありがたいと思います。

 最初に自己紹介をさせていただきます。私はスイスからやってきたスイス人です。スイスは非常に小さい国で、ヨーロッパの中心部にあります。スイスの首都のベルンで生まれ、今、住んでいるのはジュネーブです。ジュネーブはどちらかというと国際都市です。というのは、20以上の国際組織があります。例えば国連ですとか、世界保健機構、世界労働機構などがあります。私は言語を勉強しまして、室内装飾など建築を勉強し、最終的には政治にきました。政治といっても、私の場合は人権や人々の公民権的なものを主張するものです。私はネイルバッソという人と一緒に仕事をするようになったのですが、今、笹本さんがお話にあったように、ベトナム戦争の時代に始まります。ネイルバッソは、「人民の権利と解放をめざす国際同盟(LIDLIP)」というNGOをたちあげました。そしてこの組織は国連の中の社会経済理事会の協議機関という地位を獲得しました。そういう地位を得ることによって国連の会議に対して色々意見を述べることができるような組織になりました。これまで27年間そうやって活動してまいりました。私がこの間やってきたことは人々の権利を主張することで、それは個々の人々の権利というより集団的な人民の権利を主張するものでした。ご承知のように国連というのは政府間の組織です。ですから、国連に参加できるのは国家だけです。一般の人々が国連に関わろうとすれば、直接国連に行くことはできないので、NGOに参加するということになります。ですからそのようなNGOの資格を得ることによって、そこを通じて、国連に対して色々意見を述べたりインプットすることをやってきました。

 私の組織であるLIDLIPは色々な組織から要請を受けて活動してきました。例えば、今、私たちはアジアにいますが、アジアの問題から始まりました。私たちが長年やってきたのはスリランカのタミール人の権利を擁護、主張することでした。タミール人というのは同じシンハリの民族なのですが、そこからきている別の人々です。残念ながらこの紛争について詳しくお話することはできませんが、確かなことはタミール人が30年以上の間、シンハリ人によって抑圧されてきた事実であります。タミール人は抑圧に対して長い間、武力を使わないで平和的に抵抗をしてきました。よく新聞でタミール人を報道するときは“テロリスト”として描かれることが多いのですが、しかし実際のスリランカの内戦は、スリランカの政府軍とタミール解放組織です。日本でも、“タミール人はテロリスト”という報道がされています。私たちLIDLIPという組織は、国連でタミール人の権利を主張するという活動をやってきています。タミール人自身がが国連で発言することができないので、私たちが代わりにやっています。ところが実際に色々な新聞などで報道されるのは、タミール人サイドからではなく、国家側からの報道のみです。

 私たちは、いつもアジアでそういう人たちと外交面で行動を共にするということをやっています。他には東チモールの問題です。ご承知のように東チモールは独立国になりました。ノーベル賞を受賞して首相にもなったラモス・ホルタという人は私の友人でもあります。私たちが、東チモール人民がインドネシアの抑圧と侵略と戦っていたときに、東チモール人民を支持して発言していたからです。

 また、他にも、アチェ、インドネシアのマロクという地域などがあります。国連の代表が私たちのところへ来て話しをしています。

 それからフィリピンの問題の中のモロ解放戦線についても発言をしてきました。フリピンでは独裁政権が終わって新しい政権に変わっていますが、フィリピンではまだ人権抑圧が続いているので、私たちは27年たって再びフィリピンの問題に関わっています。

 また、インドのナガス、バングラディッシュのチタゴン、フィリピンのネグロス島、アエタスの先住民の権利の問題でも活動し、津波の大きな被害を受けたフィリピンのアンダマンという島やアフリカの数ヶ所にも関わっています。

 先住民の問題では、コンゴ共和国のバトゥアの問題、南アフリカのカラハリ砂漠のサンという少数民族の問題、被植民地化の問題でもある独立しているヒサーラを実際には西サハラが支配している大きな問題の中で進められている解放運動などがあります。西サハラは国家のとして認められていますが、しかし、国際的には国家として認められていないので、西サハラの解放運動の人々が国連にいったときには直接国連に働きかけることはできないので、私たちのNGOを通して働きかけています。

 また、エリトリアを代表して発言できるのは3つのNGOしかありません。私たちは抑圧されているエリトリアの人々を代表して国連の人権委員会で発言するのですが、抑圧する側のエチオピアが「盗賊の代表」と私たちの悪口をいいます。現在、エリトリアは国連で独立国として承認されるようになりました。

 ラテンアメリカをみると、多くの国が独裁政権でした。私たちはほとんど全てのラテンアメリカの国々を代表して発言しなければなりませんでした。たとえば、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル、エルサルバドル、グァテマラといったような国々は全て独裁政権でした。チリのピノチェト独裁政権の頃、多くの人が捕らえられ拷問を受けていましたが、その人たちのために私たちが代わりに発言していました。しかしピノ政権は非常に強大で、なかなか結果を出すことができませんでした。何年かして、政治囚として捕まっていた人が逃れてヨーロッパに来て、その人から話を聞くことができ、はじめて実態がわかったのですが、その時に、拷問を受けたり抑圧された人々について私たちのようなNGOが発言してきた活動のおかげで解放されたと感謝を述べていました。

 エリトリアの場合でも同じように、もし私たちが国連で5分でも話しをしなかったらいい結果がでなかったと思います。あの当時、私は以前にエリトリア解放戦線で戦っていた人たちに話をする機会がありました。そのとき、彼らは、「戦いに無線ラジオを持っていたので、国連でベレーナ・グラフが私たちのことを発言しているのをラジオで聞いた。私たちに連帯の力、勇気を与えてくれた」と言っていました。

 ラテンアメリカの話しに戻りますが、ラテンアメリカの独裁政権だったほとんどは、何も罰せられずにいます。ですから多くの独裁政権のもとで拷問を受けたり、行方不明になったりしましたが、独裁政権が倒れて民主化されたあと、罰せられることなく彼らは去って行きました。本当は、罪を侵した独裁政権の人々はそれなりの裁判を受けるとか、法に従って処罰を受けなければなりません。

 現在、コロンビアの問題も活動していますが、社会的な紛争が国内で起こっています。一部の権力を持った勢力が支配していて、多くの貧しい人々の中で解放運動が起こってきました。報道では麻薬のみしか報道されていません。

 また、メキシコのサパティスタ解放運動と連帯しています。そこでも主要な問題は、一部の金持ちと貧しい人々の対立です。

 北アメリカのカナダやアメリカ合衆国の先住民、オーストラリアのマオリ族やアボリジニー問題にも関わっています。私たちは世界中の先住民の権利を支持して、彼らを代表して発言しています。ニューカレドニア、タヒチ。それからヨーロッパのコソボ問題。私はコソボで武力紛争が起こる前にオブザーバーとしてコソボにいったことがあります。そこではセルビア人が大きな勢力をもってコソボを支配し抑圧していました。アルバニア系の住民がいる学校と工場とかに毒をまいていました。私たちは毒物を使用しているということ証拠をつきとめることもできました。私たちの代表団は証拠を持って警察に持って行ったところ国外退去を命じられました。コソボについて付け加えますが、コソボの紛争は、アルバニア系の住民とセルビア系の住民の対立ですが、アメリカが介入しコソボを支援するというかたちを取りました。それはコソボが被抑圧民族だからではなく、アメリカがコソボにベトナムに作ったものよりもっと大きな米軍基地を作ったのです。アメリカはそこを支配したかったのです。ご承知のように、コソボは独立の形になりました。それは独立ですが、アメリカの導きによって独立したということであります。

 もう1つ申し上げておきたいのは、スペインのバスク地方の問題です。非常に痛々しい問題です。バスク人はヨーロッパでも古い民族ですが、スペインにありながらスペインとは言葉も違った全く違う文化を持っています。確かに、バスク人は非常にひどい暴力行為をしますが、それでスペイン当局が民主的に選んだ人までも投獄してしまいました。もちろん私たちは暴力を支持することはできません。しかし発言する権利、そして自決の権利については、私たちは発言していかなければならない。スペインからの独立をするとかしないとかいう話しではなく、自分たちで決める権利を尊重すると言っているのです。

 それからイラク、イラン、トルコにまたがる、クルド人の問題があります。イラクのクルド人は自治権を持っています。トルコではクルド人が抑圧されています。

 またパレスチナの問題があります。これは色々ありますからここで詳しくお話することができませんが、宗教の問題ではありません。水と土地の問題なのです。今、パレスチナ人が住んでいるところは自分たちの土地でありながら、まるで監獄にいれられた状態で暮らしています。そういう状態でありながら、世界は見つめているだけで何も行動していない。

 このほかにも色々ありますが、私はそういうふうにして人民の利益のために発言をすることが多いのですが、そのためにトラブルも色々ありました。私たちはそういう中で、若者が外交的に活動できるように養成ををしています。外交といっても、政府の外交ではなく民間の外交です。政府の外交官はネクタイをつけていますが、私たち民間の外交官はバスケットシューズをはいているように機動力がある外交官です。これは民間と政府を明確にわける、ということを言っているのです。

 この27年間の私たちの活動の間に、日本の人権活動グループとの交流がありました。私たちはそのグループを支持し、国連の活動を援助してきました。例えば、私たちは在日米軍基地に反対するということでも発言し、それから笹本さんがさきほどおっしゃいましたが、グローバルキャンペーンに参加して、ここに新聞がありますが、新聞に武力の行使を禁止した日本の9条を支持するという主旨の内容を出しました。ジュネーブで唯一の独立系新聞クーリエに意見広告を出しました。これに載せるために政治家や色々な人の署名をいただきました。これは非常に長い活動でした。最近は、9条世界会議に私たちが参加することについて、4月18日に記者会見を行いました。

 昨日新聞記事でしりましたが、名古屋の高等裁判所の判決が1つの希望だと思います。日本のイラクに対する軍事的な支援に対する判決だったと思いますが、非常によかったと思います。それでは質問を。

 質問(三宅さん):独裁政権を裁くこと。グローバル化の中で国が障害になっている、どういう形で取り組んでいったらいいか、その1つが世界会議だとは思うが、グラフさんはどう考えるか。

 G: 独裁政権を裁判にかけるということは、それは国際刑事裁判所でありうると思いますが、スペインのピノチェトの場合、最終的には国内の裁判所で裁くということになったのですが、これから出てくる、民主主義というところでどういうふうにするのかという問題になると思います。しかし、もう1つ危険だと思うことは、この司法というのは必ずしも独立したものとは限らないということです。本当の意味で罰するということではなく、守ってあげてしまうということになりかねない。その場合、最も重要なことは民間社会が圧力をかけるということだと思います。一般の民間の運動が立ち上がって圧力をかけるということが重要だと思います。日本についても同じように期待しています。例えば9条の問題でも、日本でも外国から支援を受けるのが大事だと思います。最近、私が書いた文章から引用します。“国際的に変化を求めて、変化を勝ち取ろうという人々は、日本の憲法9条をなくそうという動きに対して、それに反対するとうことが非常に重要であります。9条世界会議に世界中から色々な人がやってきて、9条を守ろうという声を雪だるまのように大きくしていくことが重要だと思います。”

 質問(?女性):非常に明るい希望を伺いました。正直、今、世界会議について日本でマスメディアは全くふれていません。大きな新聞社のうち、1社か2社ぐらい少しふれたのみです。たくさんの人権活動団体もあって情報をもらっています。しかし日本社会では非常に知られていない。調布市まできてくださったことは大変ありがたい。4/18の記者会見はどのような様子でしたか?

 G: 日本のプレスについては、岡田さん(通訳)からいってもらったほうがいいと思います。考えてみますと、メキシコのサパティスタの場合でも一般の報道機関は全く報道しませんでした。サパティスタ自体も電子機器をもって世界に知らせる手段を持っていませんでした。しかし、世界で話題になりました。もし新聞がやらなければあなた方自身がインターネットを利用して知らせることもできるのではないでしょうか。これは私からの提案、希望です。
  4/18の記者会見は非常に嘆かわしい状況でした。日本のメディアは全くきませんでした。彼らは全く関心がないのです。ジュネーブの記者クラブは国際的なメディアを相手にしているのですが、その記者クラブ主催でやったにもかかわらずです。ジュネーブの前市長、スイス労働党で共産党ですが、その人も世界会議に参加します。ですから私たちは最善を尽くして一生懸命やりましたが、日本の状況と同じようでした。

 質問(笹本氏):地球の裏側から見て、憲法9条が変えられようとしているのをどう見るか、国際人権活動をしている中で、9条をどうみるかということを詳しく話してください。

 G: 憲法9条改悪の動きは勿論知っていますが、同時に名古屋の判決をみると希望を持てると感じています。裁判所は、もちろん左翼でもありません。そういう裁判所がイラクへの軍事的支援というのは日本の憲法に反するといったわけですから、これは重要な一歩だと思います。この国で6000以上のグループが活動しているという事実もあります。これもやはり積極的な面だと思います。日本の国会の力関係が変わったこともあるでしょう。今、そういう変化が起こりつつあるということで希望を持ちたいと思います。そういう意味では左翼の側がどうこうというだけではなく、裁判所や国会の力関係もかわってくると言うのは積極面で期待をしたいです。私たちはまだ勝利をおさめたわけではないですが、少しずつ運動が大きくなってきていると思います。

 質問(津田さん):ベレーナさんは言語やインテリアの仕事から始められたと聞きましたが、第二次世界大戦が終わったあとは、僕は6歳でしたが、日本国憲法よりスイスは唯一戦争をしない国ということを教えられて来ました。ベレーナさんは武器を持たないウィリアムテルかな、と思いました。そういう土壌との関係で、今日のベレーナさんがあるのか。またどのあたりで日本の憲法という問題に関わったのか。

 G: 私はスイスの風土が私に革新を持たせたということではなく、ブラジルにいったとき貧しい人をみたとき、また不正を目の当たりにして、そういう人たちのために活動するべきだと気づきました。社会風土的な紛争というものは、貧しいものと富んでいる人の矛盾によると気づいたからです。それからヨーロッパに帰りLIDLIPの創始者に会いまして、そういうふうにして私が目覚めていきました。スイスは永世中立ということで、1つのモデルと言われますが、しかし、この前開いた記者会見でかかげた表題は「日本国憲法が世界のモデルである」でした。スイスは中立という伝統はあります。9条世界会議でギ・メタンという記者クラブの責任者がスイスの中立について、反戦、平和主義について発言をする予定です。私がスイス人であることは、単に経済的に貧しい人々のために活動しているのではなく、権利の面でも貧しい、あるいは抑圧されていることについてその問題に取り組めるということです。

 質問(奥平さん):はるばると遠いジュネーブから9条世界会議のためにおこしになり、ありがとうございました。9条の意見広告も出してくださり大変感謝しています。
  9条世界会議は、左翼の人々が行っている会議ではなく、普通の人々が立ち上げた会議なのです。2月の時点で、世界の106カ国からメッセージをいただいています。世界が変わっていることを体で感じています。貧しい国に誰が武器を売りつけているのでしょうか。イラク戦争をやめさせようとして立ち上がった、そういう流れを世界会議でもっと強いものにして、弱者の側にたって、また9条を変えさせようという権力に立ち向かいたい。

 G: ありがとうございます。今おっしゃったことは全て同意します。私も論文の中で書いていますが、日本は世界の平和のモデルにならなければならないと思います。コスタリカのアリアス大統領がノーベル平和賞をもらいましたが、平和憲法をきちんと守っていけば、日本もその次のノーベル平和賞をもらえるのではないでしょうか。

 質問(女性?):現実の国連は大国の意志によって運営されているので、なかなか解決できないのでは、と思います。私たちが声を上げ続けることが唯一問題を解決する方法なのでしょうか。国家間の紛争はアメリカが介入しない限り少なくなりましたが、発展途上国では大国が武器を権力者に売りつけて老人や子どもがころされていくのはどのように解決していくべきなのでしょうか。

 G: どういうふうにしてということになりますと、私自身解決策はわかりません。しかし、私の経験からしますと、歴史の本を読むなどしますと、戦争は絶対に紛争の解決にならない。戦争が終わってテーブルに集まって一致点をみつけて解決する。もしテーブルにつけるなら、戦争を起こす前にテーブルにつけばいい。戦争は1つのビジネスになっていて、兵器を売ることで儲けている、戦争をやりたい、やりたいという好戦勢力がいる。ですから、私自身、今おっしゃったことの解決策はわかりませんが、先ほど申し上げたように市民社会がもっと圧力をかけたり、カリスマ的な人がいたり、著名な人や、芸術家が発言するということも大事だと思う。忘れないでいただきたいのは、戦争はビジネスであるということです。

 質問(?女性):ミャンマーに対しては活動していますか?

 G: 以前ドイツに亡命政府のようなものがあったことがありますが、私は現在のミャンマーの状況はよくわかりません。みなさんは同じアジア人ですからみなさんの方がわかっているでしょう。私が思うのは、僧侶が何かやっているというだけではなく、外からの干渉があるのでしょう。政府は憲法を変えるといっていますが、民主主義的なもの・・・(聞きとれず)
  支配勢力が権力を維持している。アウンサンスーチーはまだ軟禁状態で政治に参加するというところまではいかない。単に国内での状況だけではなく、国外からの干渉というものもあるのだろうと思います。

 質問(石川さん):スイスで女性参政権ができたという報道を1971年を聞きました。イラクやイラン、日本よりも遅く、ヨーロッパの国では遅かったのですがなぜか、女性は戦ったのか。

 G: もちろん、スイスは革新的な国ではあるのですが、遅れたところがあります。日本もそうですが山がたくさんあって・・・(笑)。確かに戦いがありましたが、強力な戦いではありませんでした。今は改善されまして、社会党から出た女性の大統領もいますし、女性も地位も得られましたが、どちらかというと閉鎖的で右翼的なところがあります。一番力が強いのは右翼の党ですが、スイス連邦の政府は閣僚が7人ですが、その中の1人に右翼の責任者が入りました。反対運動がおこり、人々が圧力をかけて、議会を通じてやめさせました。開かれた国ではなく、非常に閉鎖的です。ボーダレスではない国です。もちろん世界会議でスイスのもう1つの面を見ていただくことになります。スイスが守り続けてきたものを守っていきたいというのがとても強い国で、世界に開かれたことができない国なのです。

 質問(笹本氏):軍隊廃絶しようという国民投票が20%から30%とったとききましたが、スイスの方は軍隊に関してどう思っていますか?

 G: それも今の右翼政党の関連でもありますが、国民投票で33%が軍隊廃止に賛成ということでしたが、私自身誇りを感じています。しかし、まだ実際に投票しなかった人もたくさんいますから、国民の中で実際どのぐらいそれが支持を得ているかわかりません。選挙は投票率が30〜40%ぐらいしかありません。スイス人は自分の生活に心配があるわけではありませんので、投票につながることがないのです。33%ちょっと上回るぐらいが軍隊廃止に賛成ということでしたが、同じグループがもう1度国民投票をしようとしています。それは、兵器の製造、輸出に反対するという投票です。これを成功させるためには、非常に大きな努力が必要です。たくさんの人々はまだ軍隊が存在することに対して賛成をしています。スイスは非常に小さい国ですから、武器なんて持っていても仕方ないということがありますし、武器を売らなくてもお金はたくさんあるのだ、スイスに攻撃しようとするのであれば、武器ではなくお金、金融や経済的に攻撃をしかけることがあるとは思うが、武器を持って攻撃を仕掛けるということははありえない。

 質問(男性):日本で情報をえようとすると、新聞やTVなので、本当の情報は得られない。グラフさんには特別なニュースソースがあるのですか?

 G: 私たちは新聞を頼るのではなく、直接コンタクトをとっています。例えばどこかから代表がジュネーブに来て話を聞いています。国連で話をするにはそれなりの信頼性がある必要があるので、直接話を聞いています。

 質問(津田さん):自決の権利を発言し続けていくことは、私たちにとってもあてはまるのではないかと思う。中国でのチベット問題、自由な発想の人が抑圧されているが、タイミングを大事にされたり、将来向き合ったり接点を持つ方針はありますか?

 G: 私たちはチベットについては何年も前から取り組んでいます。依頼をうけて行きました。さっきもいいましたが、人々の権利を守ろうとするとその国の政府と対立します。数年ごとに国連に私たちの活動を報告しなければなりません。例えばモロッコを調査して国連に報告しますが、そうするとモロッコ側が王様を侮辱したと国連に報告します。それに対して申し立てが合った場合、ニューヨークに言って、裁判所ではないのですが、国連の場で報告しなければなりません。しかしその場にモロッコはきませんでした。しかし中国の場合はきました。私たちがその場でチベット問題について発言しますが、中国側は1つ1つについて細かく質問してきます。私たちは1つ1つについて説明しなければなりません。自決というのは、チベットを独立させろとか分離させることを言っているわけではなく、どうするかということをチベットに決めさせなさいと言っています。例えばスイスのように連邦政府にするとかロシアのようにフェデレーションにするとか、ですから必ずしも独立という形ではなくても、自決の権利を認めるべきだということを私たちが主張しています。中国側はわかったかどうかわかりませんが、LIDLIPと3時間も話し合いました。最終的に中国はLIDLIPとだけ話し合いましょう、と言うのです。こんな小さいLIDLIPと大国の中国が話し合うのは・・・。お断りしました。夜の9時ぐらいまで話し合い、会議が終わってから、中国の人が私のところにきて、「あなたが言ったことを取り消しなさい、そうでなければ制裁します」と言うのです。制裁というのはNGOの地位を剥奪するということです。しかし発言したことを撤回することはできません。「あなたたちは非常に大きな国で、私たちは非常に貧しい小さい団体です」といいましたが、そんなことをやってもチベットに何のためにもなりません。翌朝、これは大変だと思い、「1つのNGOが口を封じられた」というプレスリリースを用意していました。ジャーナリストを集めて、中身は言わず、「ニュースになるようなことがあります」と伝えました。北京会議の数ヶ月前のことでした。コスタリカやロシアなど色々な国がきて中国に話をしました。キューバは中国といい関係にあります。キューバは「LIDLIPは非常にいいNGOなのだ」と中国に言ってくれました。次の会議のときに、中国が「LIDLIPの言っていることがわかってきた。もう少し様子をみて必要なら措置を講じる」といいました。
  そのあとアメリカの支援を受けているお金もちの亡命チベット人が国連の私のところへやってきました。今、みなさんがチベットについてどういうことをご存知なのかわかりませんが、私がわかっていることは、今のチベットの事態について情報がまげられていることがあるということです。例えば軍隊がチベットの僧侶に対して物理的に弾圧していることが報道されていますが、しかし実際には、軍隊がロープを僧侶にまきつけている写真は何年か前の写真でした。なぜわかるかというと軍隊が以前のユニホームだったからです。ウソの情報でもメディアが飛びついてしまうのです。そこで活動している記者は「国境なきジャーナリスト」ですが、キューバでもCIAがからんで同じようなことがありました。チベット人はまだ解決すべき問題を解決していません。しかし国民投票を通じて自分たちの将来を決めていくという権利はあります。中国の政府のやりかたは漢民族を大量にチベットにいれて解決しようとしています。なぜ中国がチベットを支配し続けたいのかというと、1つは経済的な理由で、リチウムなど資源があるということです。中国としては主権国家ですが、国内問題として民主的にこの問題を解決するのが方向だと思います。しかし、今起こっている世界的なキャンペーンは、本当のことではない、作られたものであります。さっき言ったチベット問題で国連で話したときに来たチベット人は、アメリカ人の援助をうけたカリフォルニアに事務所を構えた非常にお金持ちの人でした。



『マスコミ・文化九条の会 所沢』の会報、『九条守って世界に平和』33号(2008年3月27日発行)から転載
大手マスコミと「九条の会」運動の課題
改憲阻止の戦いは地方、地域が焦点に   
丸山重威

  日本中に「九条の会」が広がって、昨年十一月現在で全国に六八〇一組織。「九条署名が住民の半数を超えた」(高知県土佐清水市)とか「北海道の署名が一〇〇万人を超えた」というニュースが流れているが、これらのニュース、少なくともあとの二つについては、朝・毎・読・産経、日経などの大手紙・全国版では掲載されていない。
  「九条の会」の高まりは、小泉政権の後を受けた安倍政権が「私の任期中に改憲」などとぶちあげ、さすがに危機感が高まったためだった。だが、福田政権になって、今度は岸信介元首相らが会長を務めた「自主憲法期成議員同盟」が衣替えし、「新憲法制定議員連盟」となって、中曽根元首相を会長に、民主党の前原誠司前代表が副会長、鳩山由紀夫幹事長が顧問に就任して、「草の根の闘い」を進めようという雰囲気で動き出した。
  三月四日の総会には、憲法九九条違反だと思うのだが、四閣僚が参加、町村官房長官は「内閣を代表して出てこいというご命令をいただき、これは天の声だとして喜んで参加した」と挨拶。議員同盟の愛知和男幹事長は「『九条の会』と称する勢力が全国に組織作りをしている。こちらも地方に拠点を作っていかなければならない」と述べたという。昨年、憲法記念日に右翼が騒いでいたが、それと同様、結構、改憲派は焦っている。
  私は共同通信の記者だったころ、「草の根右傾化を告発する」という原稿を「マスコミ市民」一九八一年二月号にペンネームで書いた。自主憲法期成議員連盟の別働隊「自主憲法制定国民会議」が地域に組織を作って、全国で「自主憲法制定の議会決議を進めよう」というのが方針で、決議のひな形が全国に流された。さすがに大きくは広がらなかったが、一緒に進められた「スパイ防止法制定決議」や「靖国神社に公式参拝を求める決議」などは、かなりな広がりを見せ、右派勢力の結集に役立った。その「議員同盟」である。
  いま、九条の会の広がりを見て思うのは、憲法の運動も、結局、地方、あるいは地域での闘いが焦点になってくるのだろう、ということだ。

 ▼地方紙にある「住民の目線」からの報道姿勢
  そこで問題になるのは、メディアと自治体の動向だ。小森陽一さんが「東久留米九条の会」で、地方での盛り上がりについて報告し、松江の講演会の予告を載せた「山陰中央新報」について、「島根は保守的な地域だが、それなりの見識を持った新聞社だったようです」と述べ、共同などの通信社が「九条の会」を伝えていることを話し、「だから『山陰中央新報』のデスクも『これは大事だ』とこのニュースを一面に載せたのだろう」などと講演したことがネットに紹介されている。
  しかし、正確に言えば、むしろ東京・首都圏のメディア状況が歪んでいる、といった方がいい。通信社の報道は大切だが、問題は通信社ではなく、各社のニュースの「視点」がどこにあるか、という問題だからだ。つまり、「中央」「国」、せいぜい「与党と野党」の視点が中心になりがちな大手とははっきり違って、地方紙の場合、地域に密着し、その「住民の目線」から報道しようとする姿勢は、かなり健全だ。
  「あくまで住民の目線で報道しよう、とやってきた」「東京から、『政府の対策が打ち出された』という通信社記事が流れてくる。事実だから載せるけれど、記事にある『この対策で事態は大きく進むものと見られる』というような観測や見通しは、ばっさり削る」と語ったある沖縄紙の記者の言葉は、問題の本質を突いている。
  大手紙の「視点」も、いまのままでいいはずはないのだが、それが現実。あえていえば、大手紙が圧倒的に強い首都圏で、例えば「埼玉新聞」が生き残るには、地域と密着して、その地域の人々の運動と繋がっていくしか展望は持てないのではないだろうか。
  いま、朝日・読売・日経が、ネットで提携し、販売でも連携しようとしているように、大手が地方紙を系列化したり、販売競争で圧倒しようとする動きも進んでいる。
テレビに出演したあるボランティア活動家は「イラクのことは話してください。しかし、憲法とか九条とかは言わないでください」と言われたそうだし、若者の生活実態を描いた番組を作った民放のディレクターは、先輩の「ひとこと憲法二五条に触れてほしかった」という言葉に、「それは無理。そういう言葉はタブーに近いんです」と答えたそうだ。

 ▼「憲法タブー」を許すな
  いま、そこら中で「憲法タブー」が広がっている。それとどう闘っていくかは、メディアの課題であると同時に、読者、視聴者を含めた国民全体の課題だと思う。
  「タブー」はマスコミの問題だけではない。地域で大切なのは自治体だ。
  昨年五月、調布の「憲法ひろば」は、映画「日本の青空」を六月一日に上映しようと取り組んだ。実行委員会は、「教育的な映画だから」と、ごく当たり前に市と市教委に「後援」を申請した。ところが驚いたことに、市と市教委は「製作者の意図に『改憲反対の世論を獲得する』という言葉があり、『公正な団体で政治的中立の趣旨に反しないもの』という基準に抵触する」という理由で拒否してきた。再考を求めたが変わらなかった。
  「日本の青空」で言えば、静岡県教委は「優良推奨映画」に指定、あきる野、東大和、狛江、清瀬などは「憲法を考えるきっかけに」などと後援した。しかし、宮崎県教委や、国分寺、調布市、中野、練馬、大田、目黒各区は「教育の中立性」や「改憲論議が高まっている中での政治的中立」を理由に後援を拒否した。(昨年九月二十二日付東京夕刊)
  よく似たような話はいくつもある。
  「核兵器廃絶平和都市宣言都市」の川崎市は昨年、二十三回続けてきた「平和をきずく市民のつどい」への後援を初めて拒否、市長メッセージも取り止めた。アピール文の「憲法9条の改悪反対」などの表現が「市の政治的中立性を損なう恐れがある」のだそうだ。箱根町では、「九条の会」が当局の妨害に遭っている。町の施設を借りるのに、護憲を訴えるチラシの配布を禁止し、「九条を守るというのは偏った考え。九条の会は政党に類する。一切、九条について参加者に訴えないで」といったそうだ。(三月三日付神奈川新聞)
  改めて言うまでもない。憲法九九条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と決められている。まもなく自治体にも新入職員が入ってくるが、国でも自治体でも、就職するときには、必ず日本国憲法の擁護を誓う。しかし、当の自治体が、この調子では困るのだ。

 ▼攻撃には敏感に反応を
  こんな問題に対して、地元で常に敏感に対応し、小さなことだと思わず、積極的に問題点を明らかにして、闘わないと憲法は守れない。昔もきっとこんな「地域のムード」が広がり、「戦争国家」に進んで行ったのではなかったか。
  「ナチが共産主義を攻撃したとき、私は多少不安だったが何もしなかった。次に社会主義者が攻撃された。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチはついに教会を攻撃した。私は行動した。しかし、それは遅すぎた」―マルティン・ニーメラーの言葉である。
                         (関東学院大学教授、日本ジャーナリスト会議)

『マスコミ・文化九条の会 所沢』の会報、『九条守って世界に平和』33号(2008年3月27日発行)に掲載された上掲丸山論文と隣接して、右の漫画(調布「憲法ひろば」世話人の鈴木彰描く)が掲載されました。
はからずも論文の内容と噛み合ったものなので、同時にご紹介します。

鈴木彰の「担ぐまい!大連立の大御輿」
 

「神奈川新聞」2007年9月16日付・文化欄から転載

「9・18を忘れるな」
  いま中国が訴えていること
                      丸山 重威

 「三日前、日本の高校の先生を案内しました。その先生たち、『満州はどこ?』と聞くんです。がっかりしました」―。
  ハルビンで「七三一部隊」の遺跡を紹介したガイドの王hさん(30)はこう話した。「私は中国を攻めた日本に興味を持ち日本語を勉強しました。友好のためには、いいことも悪いこともお互い知り合うことが必要です。日本人はもっと歴史を知ってほしい」
  細菌戦の研究に多くの中国人を拉致し人体実験で殺し、戦後はその資料を米国に渡して免罪…。 「七三一部隊」は、ようやくその事実が知られるようになったが、それでもユダヤ人抹殺のアウシュビッツや無差別爆撃のヒロシマ・ナガサキのようには語られ、論じられていない。だが人間性と人道上の意味を考えるとまさに同等かそれ以上の恐ろしい犯罪だ。なぜ人間は、同じ人間にこんなことができたのか?
  現場には本部の建物のほか、証拠隠滅で爆破した建物跡の穴、巨大な焼却炉、「マルタ」と呼んだ犠牲者を運ぶ引き込み線などが残り、器材や史料が展示されていた。
  ▽
  「勿忘九・一八」―瀋陽(旧奉天)柳条湖の「九・一八歴史博物館」の壁にそう彫られていた。「九・一八」とは一九三一年九月十八日、この柳条湖で日本の関東軍が起こした満鉄線の爆破事件。関東軍は「暴戻なる支那兵の仕業」として、軍を満州全域に展開、侵略の火蓋を切った。「満州事変」。いわゆる「十五年戦争」の始まりだ。
  文化大革命直後の一九八一年、私がここに来たときは何もない郊外の松林。紅衛兵が倒した日本軍の記念碑だけ転がっていた。「日本の侵略を記憶にとどめる行事は何かあるのか」という質問に当時のガイドは「中国にとって記念することではない」と怒って答えた。
  それから四半世紀余、街になった現場には博物館が建った。展示は満州侵略の背景、経過、事実、そして中国革命、国交回復から現在まで…。
  「ことごとく事実であるのに、なぜ今日に至ってもそれを正視できず、甚だしきに至ってはそれを改ざんし歪曲する者がいるのか」―展示の「まとめ」にはこうあった。日本人向けではない。
  だが、歪曲や改ざん以前の問題として、私たちは若者にきちんと歴史を教えていないし、私たち自身、事実を知らない。
  ▽
  中国、というと「反日感情」の話になる。日本の歴史認識に反発しながら、関係修復に神経を使う中国政府。ときに「反日デモ」もある。「九・一八」から七十六年。本当のところ、中国の一般庶民はどう考えているのか? そんな思いで中国東北部・旧満州の遺跡訪問の旅に加わったのだが、やはり「歴史の現場」は雄弁だった。
  *略歴*
  まるやましげたけ。関東学院大法学部教授。一九四一年生まれ。早大法学部卒。共同通信編集局次長、情報システム局長を経て現職。著書に、「新聞は憲法を捨てていいのか」など。論文に「憲法改正問題とジャーナリズム」など多数。


「静岡新聞」2007年6月30日付夕刊から
  「憲法で考える」大切さ
     「日本の青空」後援問題 
               丸山 重威

  憲法学者・鈴木安蔵の秘話をもとに、日本国憲法の誕生を描く映画「日本の青空」が好評だ。
  「日本国憲法は単なるGHQ(連合国軍総司令部)の押しつけではない。その基礎に自由民権運動の伝統を継いだ憲法研究会草案があった」と歴史的事実を伝える映画は、憲法論議がにぎやかな中で多くの人に観て考えてもらいたい映画だ。
  各地の上映運動では、沼津、札幌、豊中、あきる野などで市や市教委が後援に名前を連らねているが、何と東京・調布市と市教委は、要請を受けて「製作者のあいさつ文に『改憲反対の世論を獲得する』とあり、政治的に中立とはいえない」と、これを拒否した。
  後援がつくかどうかは上演運動にはそんなに影響はないだろう。しかし、「憲法を護る」とか「改憲反対」とかいうことが、なぜ「政治的中立」に反するのか?
  そう考えると、問題はそう簡単なことではない。
  憲法九十九条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定している。だから、「改憲」を声高に叫ぶ安倍首相には「首相という立場で改憲を主張するのは問題。せいぜい自民党総裁の立場で、と断るべきだ」という批判もあるくらいだ。自治体もこの条項に縛られる。
  いうまでもなく、憲法とは、国が間違った方向に行かないよう国民が監視するための規範だ。国民の意見は様々だから、その意見を集約し、物事を決めていくとき、その「基準」となるものが憲法である。それが揺らいでは立憲国家は成り立たない。
  だから憲法は「憲法擁護義務」と同時に、九十八条では「この憲法は国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と決める。公務員は、これを誓約して就職するのが普通だ。
  「政治的中立」に対する言葉は「政治的偏向」だ。「政治的偏向」というのは、右でも左でも、一党一派に偏って「政治的主張」をすることだ。だから、その議論のどちらにも与しないのが「政治的中立」だ。
  「憲法改正」問題でみれば、意見はいろいろある。自民党のような改憲論もあれば、「それには反対だが、天皇制の廃止や九条を強化する改憲なら賛成だ」という議論もある。例えばそのどちらかに偏った「憲法九条を廃止」とか、「第一条を変え天皇制廃止」という議論は「政治的」かもしれない。しかし、「改憲反対」や「護憲」は憲法の原則を進める立場であって、「偏向」ではあり得ない。これが「政治的偏向」とされるのでは、憲法に関する解説や議論は、一切できなくなるだろう。
  例えば教育の場では、まさに一党一派に偏らない「政治的中立」が求められる。だが「護憲も改憲も政治的だから憲法は教えられない」ということであってはならない。
  物事を憲法の基準でどう考えるか、憲法を暮らしにどう生かすか。「憲法で考える」ということは、主権者にとって最も重要なことである。若い主権者を育てるとき、憲法を避けてはならない。
  「改憲」は「政治的」でも、「護憲」は次元が違う問題である。「憲法を護ること」を「偏っている」と言うのは、それこそ、偏っている。憲法に対するそんな風潮を広げてはならない。 (関東学院大教授)